やはり台風が来ますねぇ。九州を始め西日本の皆さま、お気を付けください。東日本の方も、激しい雨の地域があるとのことです。充分にご注意ください。
===今日のコメント===
=フェラあり先生
いつもありがとうございます。
> 1バーツが6円ということは、1990年頃でしょうか?もうちょっと前かな?
ズバリです。さすが先生です。正確には、90年代の前半と言うところです。先輩からは、「ちょっと前は1バーツが10円だったぞ」と聞かされています。年代は忘れましたが、少しして一時期1バーツが2.5円位にまで上がったことがありましたね。その後、暫くは2.7円くらいの時が長く続き、現在ではちょっと円が安くなって3円ちょっとですか。
>おそらくその14歳もタイ人ではなく、山岳かミャンマーだったんじゃないのかなあ?
その頃は、言葉も話せませんでしたからよく分かりません。タイ語も挨拶だけですから、タイ人のタイ語なのか、外国人のタイ語なのかは分かりませんでした。ただ、人種的には、色白の瓜実顔とでも言うのでしょうか。日本人と変わらない顔形というか、ヘアスタイルも前髪はおでこで一直線に切り揃え、後ろはそのまま肩まで伸ばしたもので、まるで日本人形のように整った顔立ちの子でした。
>あの頃は北部の子のほとんどがバンコクかハジャイに出ちゃってたはずです。それとも14歳だとまだまだ地元で研修期間だったのかなあ?
これも後で触れようと思っていることなのですが、少なくとも「17/3(チッカム)」では、バマーや山の子が増え出すのはもうちょっと後のことでした。
なお、遅ればせながら、リンクの欄に「ヅラヅラ草」を加えさせていただきました。今後ともよろしくお願いします。
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「ホントにチェンマイに行ってから その1」
結果的には、その後も年に1回から2回はタイへは通っていましたが、当時は帰ってからもすぐに行きたくて仕方ありませんでした。あの「17/3」での出来事が忘れられなかったのですね。
そして、いろいろと調べてみると、タイってその手の商売が結構あるって言うことも分かってきました。で、早く行きたいのだけれど、結局なんやかんやあって実際に行けたのはほぼ1年後のことでした。
「17/3」では、その後もコンスタントに若い子を供給してもらいました。たまには浮気をして、「サコドゥアン」や「バンノンジャブ」に行ったりしたこともありました。しかし、「サコドゥアン」では次第に品薄になった気がして次第に足が遠のき、「バンノンジャブ」はガセを掴ませられたこともあって足が遠のいているうちに閉店してしまったようです。
えっ? ガセって何かって? それは偽ボリスットです。何回か通って、ほんのちょっと言葉も出来るようになって、ボリスット買いを始めた頃でした。「保証する。正真正銘のボリスット」とのことで連れ帰ったのですが、確かに年は若いし、体も未完成(とは言え、胸も膨らみ、若干の発毛あり)でした。しかし、局部を調べて指を挿入してみると抜いた指に血が付いてきます。しかも、広げてみると、トロトロ血が流れ出て来るじゃないですか。破瓜の血は鮮やかな色なのに対し、生理の血はどす黒い感じなので、一見すればすぐに分かります。結果的には、3回ほど経験した子が生理になっていたのでした。まぁ、性格も良くて大人しく、何でも言うことを聞く子でした(^ ^; ので、帰したり文句を言ったりはせずにそのままいろいろと致しましたけど(^ ^;
結局、「バンノンジャブ」にはその後一切顔を出さなくなりましたが、今だったら外道の細道で晒されていたことでしょうね(笑)。
ところで、いよいよ以て本格的にのめり込むきっかけになったのが、確か2回目か3回目に「17/3」に行ったときであったと思います。まだ、事前に連絡などしていませんでしたから、いざ行ってみるとその日は気に入った子がいませんでした。困った顔をしていると、旦那が切り出してきました。
「今日は欲しくないのか?」
「いや、気に入った子がいないんだ。うんと若い子はいないの?」
と尋ねると、ちょっと考えてから
「ちょっと待て。今呼ぶから」
とのことで出てきたのが、12歳という子でした。2~3日前に水揚げされたばかりで、まだ店には出ていないという子でした。
「Opened. One time.」
「じゃあ、僕が2人目?」
「Yes. No Condom OK!」
でも、見るからに子供で、背は140もないぐらいでした。あまりに痛々しく迷いましたが、既に臨戦態勢になってしまって(^ ^;、OKしてしまいました。あとで配達してくれると言うことで、先に帰って食事をしたりしてホテルの部屋で待つことにしました。
やがて、約束の時間が近づきますが、あの待つ間のドキドキする感じは何とも言えませんね。廊下の方で音がする度に、のぞき窓見に行ったりして……
やがて、旦那に連れられてやって来ました。近くで見ると、本当に素朴な子でした。身長を聞いても「測ったことない」かなんか言われました。胸は膨らむ気配すらなく、もちろん発毛も全くなく、そこには1本の筋が走っているだけ。
「こんな体なのに……」
萌えました。そのまま一直線でした。
もう抜け出せなくなっちゃいました。
西日本は雨ですか? 東日本も明日以降天気が崩れそうです。台風の被害が大きくならなければよいのですが……
===今日のコメント===
=フェラあり先生
いつもありがとうございます。
>タイの貞操観念は非常に強かったです。
でしょうね。だからこそ、「タイの女性には素人か淫売のどちらかしかいない」式の意見が出てくる訳ですよね。
>ただし金絡み、「タダでは絶対失わない。」
さすがタイ人(^ ^;
タイ人の微笑みの後ろには、財布が口開けているって言った人がいました。カネが動くとなれば、満面の笑みで……(^ ^;
>ところが最近では中学生でも近所の学生とヤリまくっているみたいですね。ケップという人のオキニ、ニットちゃん14歳も4月に会った時は処女でしたが、今ではヤリまくっているそうです。
これは自分も実感しました。昨年ホテルへ来た■学生で、外道にも投稿したファーイちゃんと言う子。一応ボリスットということで来たのですが、実は直前に売っちゃってたと言うとんでもない子です。コトの前にいろいろと聞き出して確認したのですが、一応体験(=お仕事)としては2人目には間違いなさそうでした。1人目はタイ人の客で、2回戦したと言っていました(^ ^;
悔やんでも仕方ないのでコトをし始めましたが、そのときフェラはしたかと聞くと「してない」とのことなので咥えさせたのですが、やり方を知っているんですねぇ。ちゃんと舌は動かすし、手扱きもするんですよ(^ ^; 「ビデオで見たのか?」と聞くと(結構多いんですよね。興味本位で見たという子とか、仕事をするに当たって見てみたと言う子とか)、ビデオは見たことないと言いまして、「じゃあ、なんでやり方知ってるんだ?」とたたみ掛けると、「学校で友達にやってる」……
目を点にしつつ、「フェーンかい?」と聞くと、ややあって「うん」との返事が返ってきました。
休み時間とか、昼食の後にでもやってるんでしょうかねぇ。呆れてしまって、そこまでは聞きませんでしたけれど。
> あと、旅行者にとっては金より時間が貴重です。安かろう悪かろう女と時間を過ごすほど勿体無いことはないと思います。
それは言えますね。カネより時間。まさに、Time is money でありましょう。
追伸
自分がこの道に踏み込んでしまったのは、初めて行った「17/3」(現在のカラオケ・チッカムの前身)で見つけた14歳の子がきっかけでした(^ ^;
この後に、そのことをまとめてみました。
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「ホントにチェンマイに行った日」
初めてタイへ足を踏み入れた頃。今思うと、タイに対する知識も殆どなく、ただ日々の雑事に追われていました。拠点はバンコクの郊外でしたが、市内のホテルに宿泊していました。風俗関係は、2~3度、タクシーに頼んでいわゆる置屋に足を運んだことがある程度でした。それでも、たいして風俗に興味があるわけでもなかったので、満足していました。当時は1バーツが6円で、一晩あたり日本円で1万円ほどだったと思います。何でレートまで覚えているかというと、たまたま入ったレコード店で買ったCDが500バーツで、「日本で買うより高いなぁ」って思ったことを覚えているからです。当時のタイでは、CDはシンガだか日本だかでプレスしたものしかないと言うことで、まだまだ貴重品。鍵の掛かったショーケースに入っていたんですよ。テェプカセッなら50バーツぐらいだったと思います。
あとの夜遊びは、型どおりにタニヤやパッポン。でも、オフはしたことがありませんでした。先輩がいる前でそう言うことをすることには抵抗があったからですが、それほど興味もなかったというのが正直なところです。
そんなある日、所要でしばらくチェンマイに滞在することになりました。初めて乗るタイの国内線。今ではジャンボも飛んでくるチェンマイですが、当時の飛行機はジェットとはいえもっともっと小さい飛行機。便数も今の半分ぐらいだったでしょうか。それにあの頃のタイ航空国内線は、ほとんどの乗客が外国人。タイ人は半分も乗っていなかったような印象があります。きちんと、国際線並みの機内食が出てきたのも驚きでした。
数日の滞在が過ぎ、明日はバンコクへ戻るという日の帰りの車の中。早めの夕食を終え、ホテルへ帰るものと思っていると、ずっと世話してくれていた通訳のタイ人がおもむろに言いました。
「もうチェンマイには来ましたか」
意味が分かりませんでした。怪訝な顔で
「ここチェンマイでしょ?」
と答えると、彼はニヤリとして説明してくれました。
「若い子を抱かないとホントにチェンマイに来たとは言いません」
今では考えられませんが(笑)、本当にチェンマイ童貞だったのでそう答えると、
「では、ホントのチェンマイに行きましょう」
「若い子は好きですか?」
思わず、学生時代に経験した中学生とのことを思い出し、頷いていました(^ ^; でも、実際には、18とか19の子だろうなぁって、漠然と思っていました。
そして連れて行かれたのが、「17/3」でした。ターペーからシャロンムアンを進み、市場の近くを左に折れてガタガタ道をゆっくり進み、「こんな所にあるの?」と訝しがりながら、到着しました。
「? 普通の家?」
バンコクで行った所は、いずれも繁華街だったり、そうでなくてもカラオケ屋や美容院だったり(^ ^; と、一応店の体裁をなしていたのに対し、ここは看板も何もない普通の民家。普通の家と違うところと言えば、立派なコンクリート製の二階屋(三階?)、そして、屋根には不釣り合いに大きな衛星放送のアンテナがあったこと。脇に車を止めて、中に入ろうとすると出てきたのが眼鏡の旦那。このときは、まさか彼と、その後十何年も付き合うことになろうとは思いもしませんでした(笑)
通訳の彼と旦那とは顔見知りらしく、肩をたたき合ったりして親しげに雑談しながら店内に進みます。後に続くと、中は暗かったのですが、すぐに電気が点き、中の様子が目に飛び込んできました。
ガランとした、だだっ広い室内。片隅にベンチというか、ソファというか椅子が置かれているだけで、あとは何もありません。白い壁だけが目についたのを覚えています。2人がその椅子に座ったので、続いて自分も座って店内を見回しますが、今までとの違いに戸惑うばかり。
「女の子が並びます。好きな子を選んでください」
ひとしきり旦那と話したあと、通訳が言いました。すると、旦那が大きな声で奥に向かって何事か叫び(または、壁に付いたベルを押したのか、今となっては覚えていないのですが)、するとドタドタ階段を下りてくる音が続き……
出てくるは、出てくるは…… 後から後から、女の子が続きます。総勢、十数人出て来て壁に沿ってズラリと並びました。
「え……」
絶句でした。こんな形での対面は初めてでしたから。今までの店だと、せいぜい数人の中から選ぶとか、クラブ形式のシート配置の薄暗い店内で、ママの声に応じてオフ可の子が値段ごとに立ち上がり、その中から指名するとか。
しかし、ここでは明るい室内で、しかも人数の桁が違う…… はっきり言って、まともに正視できず、喉はカラカラになってしまいました。
通訳は、単純に迷っていると思ったのか、旦那に聞きながら女の子の説明をしてくれます。
「あの子は××歳、隣が××歳……」
「あの子は××歳だけど新人で……」
年齢はほとんど中学生で、今と違って茶髪の子も皆無。だいたいの子が小柄で、中にはほとんどオカッパ髪の子もいたりしたので、ドレスこそ着ていますが、私服や制服でも着ていれば、まるで小学校か中学校の教室に迷い込んでしまったかのようでした。
そんな中に、背も140センチそこそこくらい、髪は肩くらいの黒髪でまるで人形のように整った顔立ちの子がいました。顔をよく見ようとその子を見つめていると、その子が気に入ったと思ったのか、通訳が旦那にその子のことを聞いてくれたようです。
「その子は14歳、チェンライから来たばかりの子。美人ね」
「この子が好きですか」
なんか、よく分からないうちに頷いていました。
旦那が何事か叫ぶと、女の子たちはぞろぞろと出てきたドアに向かって引き上げていきました。
車に乗って待っていると、程なく先ほど選んだ子が私服に着替えて出てきました。隣に座った彼女を見ると、本当に人形のように整った横顔です。おでこで一直線に切りそろえた前髪がまるで日本人形のように可憐な印象です。こんな可愛い子にもアレが付いているんだ……、などと考えると、それだけで臨戦態勢になってしまいました。
覚えたてのタイ語で、
「サワディークラップ」
と言うと、初めてちょっと微笑んで
「サワディーカー」
と応じました。しかし、その声を聞いてびっくり。甲高い、まんま子供の声でした。
「美人です。今夜は寂しくないですね」
通訳は、ニヤリとして言いました。
ホテルに帰り、部屋の中で改めてその子をよく見ますが、小柄な細身の体で胸も殆どありません。しかし、顔は恐ろしいほどに整っています。ただ、悲しいかな、言葉が通じません。今なら、ここでギャグの1つもかまして笑いを取るところですが、まだ挨拶と名前ぐらいしか言えない上に、ホントに子供のような彼女を前に緊張しきってしまい、ろくにコミュニケーションも取れないうちに、でもムラムラしてきてそのままベッドに押し倒してしまいました……
これが、私がこの道に嵌ってしまったきっかけでした。
以後、一旦タイを引き揚げることになってからも、年に1回から2回、用務にかこつけてはチェンマイに通い、眼鏡の旦那との親交を深めていくことになるのでした。
首都圏の皆さま、今朝の雷は凄かったですね。被害は出ていませんでしょうか。
===『2006/09/10(Sun) 理解不能(^ ^; 』へのコメント===
=京大淫性さん
>すいません、勉強不足なもので読んでおりませんでした(^^;)
>やはり2万Bが適正価格のようですね。
ただし、ナマモノ、生鮮モノですから、程度によって上下はあるでしょうね。
>実はその時、最初は4万Bと言われてたんです。ボリすぎだろ!
行きつけの店や知り合いなら、そんなにボッて来ることはないと思います。でも、一見さんだったりすると、ある程度吹っかけてくることはあります。
でも、勘違いしないでくださいね。ただ、闇雲に吹っかけていると言う訳でもなさそうなんですよ。店としては、情勢に鑑み無用のトラブルは避けたいと考えています。そのため、むやみやたらと素性の分からない人間に斡旋するのは避けたい……
まぁ、タイ人ですし、単純にボッてるって言うのもあるでしょう。でも、チッカムの旦那も言っていました。メーサイで捕まったキタハラ某。あの事件のおかげでずいぶんといろいろな影響があったそうです。日本のテレビにも顔が流れちゃいましたし。さらに、ホテルもそれなりに繋がりのある所にします。無用のトラブルは避けたいんですよね。
でも、京淫さんの場合は、お友達だったんですよね(^ ^; 取れる限りの上限を取りたいと言うことだったのでしょうか(^ ^; でも、最終的には2万だったんですよね(^ ^;
>>ところが、今回女の子と話をしていて「取り分」の話になったことがありました。それが、「ええっ?」って言うぐらいの金額だったのです
>そうだったのですか。。。なんか切なくなっちゃいますね。
ある人ともそのことは話したのですが、とにかく間に入る人間の数だろうという結論に達しました。要は、普通の場合、彼女らには独力では客を見つけることが出来ないという現実があって、だから、それでもそう言うシステムに頼らなければならないんだという現実があると言うことでしょうか。
ちょっとうぬぼれた言い方をすれば、搾取されてもそれなりに厳選された客の元で安心して仕事をするか、搾取はないけれど危険覚悟でどんな素性か分からない客の元で仕事をするか、どちらを選ぶかと言うことにもならないでしょうか。
>>ただ、そこは若い子などはあまりいないのでは?
>そうでしたか。。。
しかし、タイのことです。たまにはいることも否定は出来ないでしょうね。確か、外道のチェンマイにも、若い子がいたという報告が上がっていましたよね。
>良い子にしてるんで、虐めないでくださいね!
こちらこそ、よろしくお願いします。
=ナナレンジャーさん
>初めまして、ナナレンジャーです。
初めまして。よろしくお願いします。
>同じく理解不能です(笑)
同志ですね(笑)
>日本では、家族公認かどうか知りませんが、援交している年齢がだんだん下がってきているみたいですよ。
ランドセル世代も結構いるらしいですね。もちろん、公認なんかじゃないでしょうけれど……(^ ^;
>私は「児ポ法」が怖いので、スルーですが、いつ見ても、ロリはおいしそうですね。
やはり、禁断の実という感じがします(^ ^;
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「年齢」
昨日書きましたように、いろいろな働き掛けもあって(チッカムの旦那は、これをNGO圧力と呼んでいます(^ ^; )、さすがに最近ではいわゆる「児ポ法」に引っ掛かる女の子が少なくなってきました。以前は、やはり昨日も書きましたように、山岳少数民族やバマー、中国・雲南あたりの子が半数(以上かなぁ)を占めていたように思いますが、例えば今年などは全員がタイ人の子でした。年齢的には「18歳、大学生」なんて言う子が増えてきました(山の子やバマーあたりの子、昔のタイ人の子などについての話は、いずれ改めてご紹介したいと思っています)。
実際、今年の8月にチェンマイでホテルに呼んだ女の子をまとめてみると、全部で7人(6泊でしたけど(^ ^; また、延べでは8人になります(^ ^; )のうち、大学生が5人、高校生が1人、店員が1人という内訳でした。年齢は、18歳3人、19歳2人、20歳2人です。このうち、19歳大学生1人、20歳店員1人は、ある種の登録をしているセミプロです。微かにやばいのは18歳高校生のみで、後はマイペンライです。でも、この高校生は、後日、改めて直電で呼び出してしまいましたが(^ ^; これらの子については、おいおい外道に投稿の後、こちらでも紹介させていただきます。
昔の、この遊びはせいぜい15までで、13~14が普通だった頃と比べると、隔日の感があります。なにせ「年増でゴメン」で16でしたからねぇ(^ ^;
夜吹く風はめっきり涼しく感じられるようになってきました。昼間はまだまだ暑いとは言え、虫の声も聞こえて、やはり秋が近づいていますね。
日曜日の1日、皆さんはどうお過ごしでしたか?
===今日のコメント===
『2006/09/09(Thu) 取り分』へのコメント
=フェラあり先生
> ブログのタイトルがタイトルだけに毎日の更新も大変でしょうが、どうか頑張って下さい。
五千円ありがとうございます。もとい、ご声援ありがとうございます(5000円というと1ナタリーにはちょっと・・・言うところでしょうか?(笑) しかし、ちょっとバーツ高ですねぇ、最近は)。
紘さんの助言にもありましたし、タイトルにはこだわらず、気楽に行かせていただくことにします。
>読者がいきなり300というのも、読者のこのタイトルへの期待の現れかと思います。
なんか、ズーンと責任のようなものがのしかかってくるようで・・・(^ ^;
ページの左側下端に、カウンターが設置してありますのでご覧ください。
>やはり、「果たして今でもチェンマイに置屋はあるのか?そして未青年や処女が今でも手軽に買えるのか?」ここいあたりが読者の注目点ではないでしょうか?
おいおいカキコしていくつもりです。
> ちなみにインポ青年の「京淫」という奴もカキコしているようですが、しつこい奴なので無視することをお勧めします。
ここでは、まだとても良い子でいらっしゃいますが(^ ^;
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「理解不能(^ ^;」
最近のチェンマイでの私の遊びは、高校生・大学生中心になってきています。言葉が通じるのは良いのですが、一頃のようなアンダーグラウンドなイメージは薄れつつありますね。しかし、タイ人の高校生・大学生にシフトして大きく変わったのは、以前のオールナイトから多くショートタイムになったこと。チッカムの旦那曰く、「地元の子だし、人の目は避けないと」と言うことで、大半はティーソンとかティーサムあたりで帰って行くのがほとんどです。
しかし、そんな現代のタイ人の彼女らの行動を見ていて理解できないことの一つが電話。
無事に処女を売り終わって帰る段になると、ほとんどが電話を掛け始めます。帰るため友達に(そのほとんどはモタサイで)迎えに来てもらうのだそうです。まだ携帯を持ってなくて「貸して」って言う子、持ってるけどリフィルできてなくて(^ ^; 「貸して」って言う子もいたりします。「恋人か?」と尋ねても、「違う、友達」と答えます。中には「男友達」と正直に言う子もいますが・・・ あの狭いチェンマイでも、自分が今いるホテルの場所がよく分からない子もいたりして、代わって場所を教えてやったりね。
あと、たいていは「痛くて痛くて、なのに×回もされて・・・」なんて言っています。電話でそんなことまで言わなくたっていいだろって思いますが、聞いていると結構面白いです(^ ^; そんな子は、何しにここに来たかを(その友達も)知っているんですよね。時には、何しに来てるかは言ってないって子もいますが、夜中の2時とかにホテルから帰るなんて、何しに来ていたか白状しているようなものだと思いますけれど(^ ^;
また、もっと信じられないのが、家族に伴われてくる子。時折、母親らしき女に斡旋された高校生・・・なんて話や、以前のパッタヤーあたりで父親らしき男に斡旋された小学生・・・なんて話もない訳ではありませんが。
今回の場合、直電を聞いておいて後日改めて呼び出した高校生がそうでした。初回は旦那に連れられてきましたが、2回目に呼び出したときには、兄と女友達に付き添われて出頭してきました。電話したときにも、途中でその兄に代わられ、事情を知らない自分は学校の先生が出てきたのかと思って、慌てて切ってしまいました。「学校は終わったのか?」と聞いたら「終わった」って言ってたのに、実は授業中だったのではなかったのか、なんて心配してしまいました。実際は、その子の兄と言われましたが、その兄がカトゥーイで・・・(^ ^; 家族公認で援助交際というのも、学費稼ぎとはいえ、いやはや・・・
それにしても、例えば日本の中高生も、こんな赤裸々に友達と話し合っているんでしょうか? 家族公認で援交とかしている子っているんでしょうか? タイ人だからなのか、最近はそうなのか、オジサンには理解不能です。
これをアップする時点で、通算623のアクセスがありました。皆さん、ありがとうございます。
===今日のコメント===
『2006/09/09 (Thu) ジョイナーフィー』へのコメント
=京大淫性さん
>ブログへの誘われ方、僕も同じでした(笑)でもブログ会社はライブドアを指定されなかったようですね。
ミャンマー炉、楽しく読ませていただきました(笑)。勝手に探して申し込んじゃったからでしょうか(笑)
>良太さんが処女を買われる時って、だいたいいくらぐらいなんですか?(いきなり下衆な質問すいません(^^;)答えにくかったらノーコメントにしちゃってください)
>僕は1度しか買ったことありませんが、2万Bでした。
価格については、「外道の細道」のチェンマイのコーナーに投稿した際にも記載していますからご心配なく。その価格はほぼ適正価格ではないかと思いますよ(^ ^; ちょっと前までは、お友達価格で15000~18000バーツの子なんて言うのもいましたが、2~3年前からは2万バーツが普通ですね。それに、価格の安い子はやはりそれなりのことが多いです(^ ^;
数年前のチェンライで、半ば冷やかしで置屋回りをしたときに、「処女はいないの?」って聞いたら、「いる。3万だ」と言われたことがありました。行きつけの店ではありませんでしたから、信用できるか分からなかったし、顔見せもしてもらわなかったので見送りましたけれど。これなんかは、一見さんなのでボッてきたのかもしれません。まぁ,チェンライの置屋が終わっていることを確認しに行っただけですから,いいんですけど・・・(^ ^;
>ところで今お話が出ているメーピン・ホテル裏の置屋っていうのは、Gダイのチェンマイ最強マップで「古き良き置屋街はひっそり営業中」って書いてあるやつでしょうか?
>2年前に行ってみたらやってんのか分かんなくてそのまま帰った記憶があります・・・(歩いて行ったのがまずかったのかな?)
その「Gダイ」の地図を見たことがないので何とも言えませんが、要は、メーピンの前の土盛りになっている一帯の通り(すなわち、カンペンディン通りです)の中にある置屋でしょうね。
ただ、そこは若い子などはあまりいないのでは? 自分が旦那の紹介で使うことがあるカンペンディンの店はもうちょっと南の方だと思います。
>では今後とも宜しくお願い致します。
こちらこそよろしくお願いいたします。
=SIHOさん
>やったことありませんが、カラオケの21歳女から処女は15くらいのときに、2.5万BTで日本人爺に売ったとか話しをつい先日ききました。わたしは処女は高いので好きではないですが、若い娘は大好きです。ツルペタ事情をもっと教えてくださいますか?
さすがに最近では、ツルペタは難しいですよ。昔は13~14歳が普通でしたから、結構ツルペタもいましたけれど。うまくモー3かモー4ぐらいの子でも見つかれば、その確率は高くなりますけれど。それに、発育の個人差も影響しますからねぇ。
ただ、生えかけ、膨らみかけ、と言うのも、結構萌えますよ(^ ^;
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「取り分」
京大淫性さんのコメントにもありましたけれど、現在の販売価格は2万バーツが中心と言うことでしょうか。今まで漠然と「半分ぐらいは女の子に行くのかなぁ」と思っていました。つまり、1.5万なら7~8000バーツ、1.8万なら9000バーツ、2万なら1万という感じかなって。ところが、今回女の子と話をしていて「取り分」の話になったことがありました。それが、「ええっ?」って言うぐらいの金額だったのです。たまたま、最初の子のときでしたので、その後の子のときにもそれとなく話を振って聞いてみたところ、複数の女の子がそうでした。中には「いくらもらえるのかは分からない」という高校生もいて、「おいおい、いいのかよ、そんなことで・・・」って思ってしまいました。1人など、「あなたは幾ら払ったの? ×□□□バーツ? それとも×△□□バーツ?」と言ってきましたが、とても本当のことは言えず、なんとかはぐらかすのに苦労しました。
以前はビルマとか雲南省、山岳民族とかの子も多くて、タイ語の通じないこともあったのですが(その代わり、年齢は若かったですが)、最近では情勢を鑑み(^ ^;、大学生や高校生中心に移って来ました。それでも、処女を売って「1期分の学費を払う」なんて聞くと、ちょっと切なくなってしまいます。ちなみに、大学の学費は、国立大学(チェンマイ大、ラチャパット大)の場合は1期2000バーツ(×3期)、チェンマイの私立大学(パヤップ大、パニット大、メージョー大、ランナー大等)は年額15000バーツ程度という話です。今回、仮に1期分を稼いだとしても、後の2期分はどうするんだ? なんて突っ込みは、可哀想で出来ませんでした。
でも、結局1度売春で学費を稼いでしまった子は、その後も売春で学費を稼いでいくことになるんでしょうねぇ。
確かに、少数山岳民族の子やバマー、中国・雲南辺りから連れてこられてきた子も問題は問題なのですが、売春しないと学費が払えないというのも切ないと言えば切ないです。
300人・・・
カウンターを見て唖然としました。なんとリンク初日で300人を超すお客さまに来ていただきました。すげぇなぁ。1ヶ月で1万人かぁ? そんなうまくいくでしょうか(^ ^;
===今日のコメント===
『2006/09/07(Thu) ちょっと硬かったですねぇ』へのコメント
=フェラありさん
> 初めまして、ブログ長屋1階住人のフェラありと申します、よろしく、引越しソバお待ちしております。
これはこれは,Dr.,いの一番のコメント,誠にありがとうございました。コメントこそ付けてはいませんでしたが,先生のブログはずっと読ませていただいておりました。
バミーヘンですが,日本から船便でお送りしてもよろしいでしょうか?(^ ^;
> ブログへの誘われ方が僕の時と全く同じだったので思わず笑ってしまいました。チェンマイ置屋、貴重な情報がと思います、これからも頑張って下さい。
そうなんですか(笑) 紘さんの一本釣りなんでしょうか(笑)
> チェンマイで置屋と言うと、もう10年以上前、メイピン・ホテルのすぐ裏の店に入ったくらいです。店の名前も覚えていません。まだあるのでしょうか?
基本的に,チェンマイの置屋は終わっているというのが貞節ですね。もとい,定説ですね。特殊用途は地下へ潜りました(爆) もともと今のメーピンが建っているあたりは「カンペンディン」という置屋街で,普通の民家の入り口に「マイチャイバーンサオ」と書いてあったという話も聞いたことがあります。自分は,あの辺の店にはボリカンサクパーで何回か入ったことがあるぐらいです。申し訳ありません。
しかし,道路沿いの土盛りの入り口を見ると,何か不思議な気分に襲われます。ちなみに,チェンマイに初めて行ったときには,メーピンは既に建っておりました。あのメーピンの土地は元々湿地帯で,付近の置屋の排水が流れ込んでいたと聞いたことがあります。あの白亜のメーピンが,ザーメンの染み込んだ土の上に建っているというのも,不思議な気分にさせられますね。
=初チェンさん
>外道のHPはタイ好きのバイブルですね。
ですって>紘さーん
>今度チェンマイに行くので大変期待します。
今,雨ですよぉ。あちこち崩れているそうですよぉ。ちなみに,鉄道はウタラディットから先が止まっていますよぉ。復旧したかなぁ?
去年はナームトゥアムでナイパァサァ一帯が水没しましたが,今年はそう言うのはないみたいです。それでも,街のあちこちで,洪水対策の工事をやってはいました。
>JF不要のホテルでお勧めはありますか?
10年ぐらい前までは,チェンマイのホテルって基本的に不要だったみたいですね,制度自体はありましたけれど。
バンコクでJFを覚えた自分は,言われて払うのは癪だからと,自ら申し出て支払ったことがありました。例のメーピンですけど。翌日も払って,前日のレセプトと見比べてみると・・・,番号が連番でした(笑)。何百室もあって,何軒も置屋があって,それで1日1人なんて,絶対おかしいですよ(笑)。それから,言われれば払うに決めました。ただ,自分の場合,連れ込みではなくてデリバリーですので・・・
それでも,チェンマイプラザやメーピンでは,眼鏡の旦那とセキュリティーが一緒に来て,「お願いします」と言われたことが何回かあります。チェンマイのホテルって,そんな感じなのではないでしょうか。
基本的に,チェラタン(旧ウェスティン)などがエレベーター前に机を出して(チェックしているらしい)他は,聞いたことがありません。あと,チェディとかオリエンタルは連れ込み不可でしょうね。しかし,メーリムのフォーシーズン(旧リージェント)は自由だって聞いたことがあります。でも,確かめてはいないので本当かは分かりません。
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「ジョイナーフィー」
これは今から10年以上前の話。JFの話題で思い出したことがあります。
メーピンの部屋に,眼鏡の旦那がローティーンを3人連れて来たことがありました(^ ^; この時は,さすがにセキュリティーが一緒に来まして400バーツだか支払った記憶があります。「3人一緒じゃないよ」って言いましたが,「ニヤッ」ってしただけでしっかりと取られました。当時,この手の遊びの場合だいたい13~15歳が普通で,時に「いやぁ,さすがに12歳は痛々しい・・・」とか「やっぱ16ともなると大人だねぇ」なんてことがあったりしました。この時の子達も,そんな普通の年齢の子達でした。日程の関係で,可愛かった方から2人だけ購入(1人は翌日ね)しました。勿論,翌日は請求がありませんでしたので支払ってはいません。
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さて,いつまで,どこまで続けられるか分かりませんが,今後ともよろしくお願いいたします。
アップの形式は,ひとまずDr.の形をパクらせていただきました。