ご挨拶、遅くなりましたが本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、昨日2月14日は言わずと知れた聖バレンタインデー。
タイでは、男性から女性へバラの花を贈るのが一般的と言われていますが、当然この日に関係を結んでしまうワイルンも多く、ひとしきり社会問題となっておりました。
昨年までは、然るべき役所が「事態を憂慮し、然るべく警戒をする」なんて発表したりしていました。今年は聞かないなぁ、もう珍しくも何ともない訳? なんて思っていましたが、こんな報道がありました。
中高生の13.2%が性体験
私立アサンプション大学が、バンコク在住のマタヨン1年から6年課程(日本の中学生高校生にほぼ相当)に通う生徒1,843人を対象に2月4日から12日にかけて行った世論調査によれば、13.2%の回答者が既に性体験があると回答した。
性体験があると回答した者のうち、87.6%は恋人が初体験の相手だったと回答したが、1.9%の回答者が売春で、1.0%の回答者がディスコやパブ等のエンターテイメント施設で知り合った者が初体験の相手だったと回答していた。
初体験を持つことになったきっかけに関しては、最も多い62.7%の回答者が相手に対する愛情や好意をあげ、32.1%が経験したかったからと回答したが、知人から強引に経験させられたと回答した者が11.0%、猥褻な映画やウェブサイト、VCD等を見て刺激されたと回答した者が10.1%、酒に酔った勢いでと回答した者も8.3%いた。
さらに、最近3ヶ月間に性的関係を持った相手に関しては、81.7%の回答者が恋人と回答する一方で、7.3%の回答者がHi-5やMSN等のネットサービスを通して知り合った相手、4.9%の回答者が売春と回答していた。
なお、性病感染予防策を講じていたのは僅かに15.7%に留まった。
一方、バレンタインデーである14日に性的な関係を持つ可能性に関しては、僅かに3.7%が持つつもりであると回答するに留まり、22.6%の回答者がまだわからない、73.7%が無回答ないしは持つ考えは無いと回答していた。
まず、この記事からでは、調査対象が男女なのか女子のみなのかが分かりませんでした^_^;
年齢の分布もよく分かりませんが、均すとこれくらいの体験率なのでしょうか^_^;
今日は趣向を変えて、バンコクで見掛けた子のことをお届けしましょう。
「街で見かけたカワイイ子」
でも、別に盗撮とかじゃありません(^ ^;
バンコクの街には、至る所に様々な広告看板が建てられています。中でも、様々なお客が見るので視覚的効果が高いからでしょう、(旧空港の)ドンムアンから市街へ至る高速道路の脇には実にいろいろな広告看板が建てられています。
日本企業をはじめとする各種メーカーのもの(昔は日系自動車メーカーのものがダントツだったように思います)、食品やレストランのもの、そして最近増えているなと思っているのが外国系メーカー(ジャンルで言うと携帯電話やコンピュータ関連、国で言うと韓国系や欧州系)のもの、そして航空会社のものです。昔は、「絶対日本語の社名なのに、日本では聞いたことのない社名」なんて言うのもあったりしましたね。
また、空港への経路と言うことで、実に様々な航空会社の広告も上がっています。
そんな中で、秀逸だなと思えたのがバンコクエアの連続看板です。同社は1968年にサハコンエアとして創設され、企業(油田や天然ガス)用のチャーター便関連で基礎を築いた会社です。1989年、サムイ島に私設の空港を開設してからブレイクし、1996年にはスコータイ、2003年にはトラートにも私設の空港を開設しました。また、1997年からのシンガポールやカンボジア、2001年からの中国各地への近距離国際線はもとより、チャーター便の実績を生かして2005年末には広島、2006年末には福岡にも国際定期便ルートを広げてきました。現在は、マレーシア(クアラ、ランカウィ)、ミャンマー(パガン、マンダレー)、インドネシア(メダン)への路線開設を目指して、着々と準備中です。
プーケットエア、エンジェルエア等会社整理されてしまった新興航空会社も数ある中で、オリエント(one-two-go)やPBを抑えて堂々タイ第二の航空会社と言って良いと思います。規模こそ比べものになりませんが、タイインターが様々な問題を抱えていることを考えると、元気さではタイ一の航空会社かもしれません。
さて、そんなバンコクエアですが、路線の性質からして観光客がメインのターゲットとなります。市街からドンムアンへ向かう左側に以下のような連続広告看板を出していました。
こんにちは・・・アンコールワット
こんにちは・・・ルアンパバン
※パァサァ・ラァオではサバァイ・ディなんですね(^ ^; 「うー」(笑)
いずれも、バンコクエアの就航地をPRするものです。
その中でも秀逸だと思うのが、
爽やかな笑顔の可愛い子ですが、サムイ島なのでコサムイちゃんと呼んで密かにファンになっていた人も多いという話です。
ちなみ、この広告看板だけは、たまたま下で撮ったものもあったのですが、このような構造になっています。
後ろの、工事中止となっている高速鉄道の橋脚が侘びしさを誘っていますが。
この広告看板、空港に向かう車から見やすいように建てられていたため、様々な思い出を胸にドンムアンへ向かうときにこの広告を見て、密かに感傷に浸っていた人も多かったようです。
ところで、この広告も現在ではなくなってしまったとのことで、バンコクエアに復活の誓願をしようかという動きもあるとかないとか……(^ ^;
今後、市街からスワンナプームへ向かう途中にどのような広告看板が建てられるか興味は尽きません。
やっと本調子って言うところでしょうか。退院しても、2~3日は何か変な感じでした。数日にわたり寝たっきりという生活は、とんとしたことありませんでしたから仕方のないことですか。
そう言えば、いつの間にかカウンターが1万を超えていました。キリ番ゲットされたのはどなたでしょうか。皆さん、いつもご愛顧いただきありがとうございます。是非とも、足跡を残していってくださいな。
溜まった仕事を片付けるため土曜日も出勤したのですが、たまたま所用で立ち寄った同僚が持ってきたスポーツ新聞を見ていたら、ルンピニ公園とサイアムホテルの立ちんぼの記事が載っていました。
今日は、そのことをちょっと書こうと思います。まずは、コメントです。
===今日のコメント===
=フェラあり先生「充分な御静養を」
いつもありがとうございます。
事情はよくわかりました。
自分も、タイまで行きながら1回も発射しないで帰ってきたのは初めてでした。場所がバンコクならまだ何とかなったのでしょうが、事情もよく分からない田舎が舞台でしたから、致し方ありませんでしたが、残念です。
充分な御静養をお取り下さい、外道は何と言っても体が資本です。健康なしには外道はできません。
ありがとうございます。日頃は意識していないだけに、失って初めて分かるものですね。健康とは、まるで空気のような存在だと思いました。
お互い若くないのですから体は大事に。
「お互い」に(^ ^;
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「立ちんぼ」
職場で、同僚が持ってきたスポニチを見ていたら、ルンピニーとサイアムホテルの立ちんぼの記事が載っていました。駅売りでなければ読めない、「あの」ページです。
斜め読みでしたので正確には覚えていませんが、「ルンピニーは500バーツから1000バーツで大学生もいる」「サイアムホテルは1500バーツ」「サイアムホテルの子とシッポリ」と言う内容でした。
自分は、直接立ちんぼというのは経験ありません(それに近いのなら1回だけありますが、これは立ちんぼというよりナンパでした)。端から見ていただけです。やはりちょっと怖いって言うのもあります。実態は変わらないかもしれないけれど、お店にいる子の方がちょっと安心できるかなって思います。
ですから、実際にお手合わせ願ったことはないのですが、それでもバンコクに泊まっているときにはけっこうお誘いが掛かります。特に、スクンビットの若い方なんかに泊まっているときには。
これは「外道」にも投稿したモノですが、いつだったかナナで声掛けられたことがありました。ナナの先の方をちょっとのぞきに行って帰ってくるとき、ナナホテルの前にいる子達をそれとなく見てみると、若い子がいたんですね。よくある大小の2人組でした。「絵に描いたようなロリだなぁ」ってちょっと興味を持って見ていると、大と目があったんです。そうしたらなんか馴れ馴れしく寄ってきて声を掛けられてしまいました。
ちょっと話してみましたが、大は「18歳で2000バーツ」と言っていました。「彼女は?」と小の方を向いて聞くと、ちょっと戸惑って「この子も18」と言います。しかしどう見てもそうは見えないので「チンチン?」と聞いたら、顔を寄せてきて囁くように「本当は15。私も17」と言います。15の子は今日が3回目と言ってました。「2人一緒で3000バーツでどうか」とも言われ、心はだいぶグラグラ動いたのですが、ホテルがアンバサダーでIDチェック必須の所だったので、そのまま放流しました。
また、立ちんぼではなくナンパの件ですが、これも「外道」に投稿しましたから、もしかしたら覚えている方もいらっしゃるかもしれませんね。
パヤタイからペブリをファーストホテルやパンティプパァサァの方に行くと、私立の高校があります。サイアムを始めバンコクの至る所に、今時の日本風のブルー系チェックのミニスカ制服で胸にはブルーのリボン、髪は茶髪で結ばず、化粧をして、多くは手ぶら(または、持っていてもポーチか携帯)というスタイルで出没していますから、たぶん見たことある人も多いと思います。歩く姿は、まさしく日本のコギャル風。見るからにアホそうな子が多いのですが、時々ハッとするような可愛い子もいるという、なかなか侮れない学校です。
この学校の子です。なお、写真の子(達)は本文とは無関係です(笑)。
ある日、サヤームでこの学校の制服を着た薄い茶髪のサラサラヘアの可愛い子が目に入り、ひょんなことからその子とお茶する機会に恵まれました。若干茶髪ではありますが、肌も白くけっこう清楚な感じの可愛い子でした。名前はノックちゃん。モー4で、背は155cmということでしたが胸もそんなに大きくなく、一般にはロリ系で通りそうな子です。初体験を済ませているのかいないのかはよく分かりませんでしたが、こんなチャンスは滅多にないので、「ホテルでお仕事しない?」と言ってみました。ちょっと迷っていましたが、彼女の手にしていた携帯を指さして「One-2-Callのカードあるよ」と、手持ちの500バーツカードを差し出しました。もう1枚500バーツカードを渡し、さらに500バーツ紙幣を1枚出して「ホテル代。マイトントン(笑)」と告げると、ちょっと迷って交渉成立となりました。
ナンバーホテルへ行き、部屋でいろいろ話していると、友達関係(?)の数人(?)と経験済みとのことでした。友達とAVも見たことがあるとかで、「フェラもできるの?」と聞くと、できると言われました。写真だけは拒否されましたが、後はディープキスもクンニも生フェラもOK、アナル舐めもOK(舐めてもくれました)でした。何も言わなかったので生挿入もできそうでしたが、何があるか分からないのでゴムをして挿入しました。アナルに指を入れると特に拒否はしなかっのですが、「コレなら行けるかな?」とペニスを挿入しようとすると拒否されてしまいました。
それでも、薄いヘアで、経験の割には締まりもよく、「オーイオーイ」ではなく「はぁはぁ」という控えめな喘ぎや正常位では私の肩に手を回してギュッとしがみついてくる仕草に萌えてしまい、ゴム付きにしては珍しく2回発射してしまいました(^ ^;
立ちんぼとナンパの思い出でした。
クーデターは一応の終結を見たようですね。
どこぞのブログでも盛んに言われていましたが(笑)、タクシンが打ち出したさまざまな制約が少しでも消えてくれるといいですね。
===今日のコメント===
=フェラあり先生
いつもありがとうございます。
これはナタリー嬢から聞いた話なのですが、タマダー、ピーセット等は基本的に自己申告だそうです。
えぇーーっ、そうなんですかーーー?
これは、お店のマネジャーあたりが総合的に判断して「あんたはサイドね」「あんたはピセート」「キミはどうあがいてもタマダーね」とかやっているのだとばっかり思っていました(^ ^;
そう言う訳で、ピセートなのに大ハズレの籤引かされちゃう人がいるんですねぇ。なんか意味ない気がしてきました……。
薄利多売でいくか、博打的に大金を狙うか。
そうすると、ヘタに「サイドだぁ」「モデルだぁ」「ピセートだぁ」って騒ぐよりも、タマダーをじっくり選ぶ方が当たる確率高いかもしれないですね。
この前、コージーでお相手いただいたスゥちゃんも、自分でタマダー選んでいたのかなぁ。ほどほどにタルンで、でも仕事はきっちり気持ちよくやってくれたし、最初の支払いの時にタマダーだったからちょっと心配したのも、ぶっ飛んでしまうようなお嬢さんでしたよ。
日本人的心情で言うと同じ店で値段に差があるのは可哀想な気がするのですが、実態は全く違うようです。
お店サイドで客観的に決めていたのであれば、値段の差も納得できますが、自己申告だとすると、何だかなぁって感じですね。
店によっては、お店サイドで決めているところもあるんでしょうけどね。初めてのお店で、「タマダー、ピセートって誰が決めてるの?」って聞いたら、教えてくれるかなぁ。
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「プーケット その2」
もう一つのプーケットで馴染みの店は「洛美」。さて、なんと読みましょうか……。
正解は「ロビー」です。
最初、読み方が分からなくて、玄関にあった行灯にかかれた洛美の文字を見て、勝手にラクビと呼んでいました。そして、後には聞いた感じや示された英文「Lobby」を元に「そうかぁ、ロッブビーって言うのね」と思っていました。暫くはそう思っていたのですが、ある時はたと気づきました。「ロッブビーじゃねぇよ、ロビーじゃねぇか」って(^ ^;
英語がそのまま漢字に音訳され、それを馴れないタイ語で聞いていたがための悲劇でしょうか。耳には、「ノッビー」とか「ローミー」とか、そんな感じに聞こえていたと思います。
おっと、本題に戻りましょう。
場所はどこなのでしょうか。今となっては、思い出せません。観光客相手にそれなりの盛り場を開発してある所に出店した店(ラブカラオケですね)と違い、普通の屋並みの中に埋もれるようにあったのが洛美でした。ですから、余所者には分かりにくくて当然かもしれません。日本でも下町にあるような、粋なしもた屋風の建物だった(行灯があるんですからねぇ)ような記憶と、店のそばを川が流れていたことが記憶にあります。
この店には比較的若い子が多く、そうねぇ、年の頃ならほぼモー1からモー3と言う子達でした。ある時、ピックアップした女の子と、借り上げのトゥクトゥク(ご存じかとは思いますが、プーケットのトゥクトゥクは日本で言う軽トラの荷台に座席をソンテーオ付けたものです)でビーチのホテルへ戻りました。途中、彼女が山の途中にある中国寺院を見て、お参りしたいと言ったので寄ってもらいました。
夜だというのに結構な人出で、もしかしたら何かお祭りだったのかもしれません。お参りセットを買ってやり、彼女に続いて境内へ入ります。仄かな明かりの中でお参りする彼女。一心にお祈りする彼女を見ていると、何か幻想的な雰囲気に包まれてきます。
どんな事情があって、今こうしてプーケットの置屋にいるのかは分かりませんが、こうやってお参りしているのを見ていると、ごくごく普通の女の子にしか見えません。自分も形ばかりですが、赤をタンブンしました。
今日のNTV「今日の出来事」。ご覧になりましたか?
「外道オフ」の模様が放映されちゃいましたよ……
映ったHPの画面見て,凍り付いちゃいました…… 内容は,壊滅させられたスワイパーに始まって,外道オフからタチレクでの炉利買いの映像でした。タチレクで買ってた人として映っていた人も,読者の方でしょうか(^ ^;
===今日のコメント===
=フェラあり先生
いつもありがとうございます。
我がチェンライ、ノンブア村は去年まで有線電話なし、携帯も圏外でした。(庭にアンテナを建て、それに携帯をつないで使っておりました。)
タイでは,とんと圏外は経験したことがありませんでした。と言うか,圏外を経験したのは,数年前にチェンマイから寝台でバンコクへ向かった時くらいのものでした。ドンムアンを9時の飛行機に乗るのに,チェンマイを早朝に出るよりも楽だろうと乗りました。結構早い時間で山の中に入りましたが,そうしたら電話が圏外になっているのを見つけて,ほぉ~と感心したものです(^ ^;
しかし今年になって村の近くに電波塔が建ったので、村もめでたく圏内になりました。
嬉しい反面,そこまで世俗が追いかけてくると言うことになった訳ですね。
そしたら、、、おっしゃることわかります、向こうからかかってくる電話の声のうるさいこと、うるさいこと、以前の習慣で怒鳴るようにしゃべっているんですよね。技術が改善されていることがタイ人にはわからないのでしょうか?
だって,タイ人ですから(笑)。
でも,共感していただけて幸いです(笑)。しかし,現在の電話しか知らないような高校生でも,そうですからねぇ。周りの大人を見ていて……,と言うことなのでしょうかねぇ。
唯一つ、感心するのはゴーゴーバーの大音響の中でも平気で電話できること、、あれは日本人には絶対マネできません。
(笑)分かります,分かります。
そう言う姿を見ると,タイ人はやっぱりしたたかだって,思いますね。
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「プーケット その1」
プーケットでは、タウンに勝手に馴染みにしていた店が2軒ありました。もう10年行っていませんから、今もあるかは分かりません。
1軒は、タノンプーンポーンのプーンポンナイトバザールにある「ラブカラオケ」。もう1軒は、場所はよく分からない(^ ^; のですが、小さな川の近くの置屋「洛美」です。
こちらでは、一見さんと言うこともありますので、普通に遊んでいただけです。それでも、ラブカラオケではオキニができ、2年くらい通うことになりました。
初めてラブカラオケに行ったとき、ママさんのコールによって、価格ごとに女の子が立ち上がりました。2000バーツだか2500バーツだかの一番高いピセートのところで立ち上がった子の中に笑顔の可愛い子がいたので、その子に決めました。性格もおとなしく、控えめな子でした。
再度プーケットへ行ったとき、ラブカラオケに行くとその子がいて、覚えていたのかニコニコ見つめられました。なんかグッと来るものがあり、その子にしました。次に行ったときには、始めから3日ほど連続で連れ出すことにしたりもしました。
そんなことを何回か続けて、いつものようにラブカラオケへ。もうすっかり顔なじみで、当たり前のようにその子が付きました。ところが、支払いの段になるとびっくりすることが起きました。ピセートからタマダーになってしまっていたのです。鮮度が落ちれば、そうなるのも当たり前と言えば当たり前のことなのですが、ちょっと悲しくなりました。安くなるのはいいのですが,なんか寂しかったです。
そして、もっと悲しい出来事が起きました。いつものように,ラブカラオケに行きましたが,彼女はいませんでした。ママさんに
「もうオフされちゃったの?」
と聞くと,
「田舎に帰った。もうここにはいない」
10年以上前の話ですから、まだまだ携帯電話は高嶺の花。だから,彼女とは連絡先の交換もしていませんでした。どうせ店に行けば会えるし,店でしか会えないのですから,それでいいと思っていました。初めて買っていったお土産が悲しかったです。
すっかり秋……、なんて思っていたら、今日は暑かったですね。皆さま、いかがお過ごしですか?
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「チェンライ」
チェンライは、5年ほど前に行ったのが最後になります。それまではちょくちょく出かけていました。チェンマイをベースに1~2泊で行くのが常でした。大半の荷物はホテルに預け、身軽になって朝の飛行機でチェンライ入り。このCNX-CEIの路線は、やがてタイインターからエアアンダマンに移管されましたが、今では運行をやめてしまいましたね。TG時代は常に満席で飛んでいたと思うのですが、(路線を移管してしまった、更には移管されても休航になってしまったと言うことは)それでも採算はとれないと言うことなのでしょうか。
そして、一応保険として翌日か翌々日の夜のチェンマイ行きの座席も押さえつつ、気分によっては、飛行機はキャンセルして昼間のバスでチェンマイに戻る、というのがパターンでした。チェンライは小さい街で、ホテルもTGの事務所も近いのでできた技でしょう。その時、クレジットカードで買っていると払い戻しが面倒くさい(カード会社の方に振り込んで貰わねばならないので書類を書かねばならず、手続きも面倒だし時間も掛かります)ことを覚え、以後この区間だけはキャッシュで買っていました。と言っても、片道400バーツくらいでしたけどね。
チェンライではワンカム(次いで、ウィアンイン)に宿を取ることが多く、馴れてくると歩いてタノンサナァムビンまでよく出掛けたものです。
初めてチェンライに行ったのは、現在の田んぼの中の空港ができたばかりの頃でした。やがて着陸というアナウンスが流れ、すぐ下に滑走路が見えるのにそこを通り過ぎていくものですから、何かあったのではないかとドキドキしました。やがて、まだ工事が続いていたチェンライ国際空港に無事着陸し、ホッと胸をなで下ろしました(^ ^;
最初は勝手が分かりませんから、店探しにはトゥクトゥクのお世話になります。夕方近く、今で言うタノンサナァムビンの旧滑走路に向かって右側の置屋に連れて行かれました。普通の民家です。ブロック塀の感じがちょっとした食堂にも見えますが、メニューもテーブルもありません。でも、入り口の近くには竈があり、女の子が飯炊きをしています。
顔見せをしてもらいますが、人数も少なく、ちょっと気に入った子はいませんでした。そう言うと「なら、この子はどうだ?」と指さしたのが、なんとさっきからそこで飯炊きをしていた子でした。
「えぇっ」
実は、店に来たときからちょっと気になっていた子でした。年の頃なら13~4。色白で胸もほんのり膨らみかけ。145センチあるかないかという子でした。でも、飯炊きをしていたので、客を取る子ではないと思っていました。聞くところによると、数日前に水揚げを済ませ、本格的に店に出る前に店の下働きをしていたところのようです。
主人が何事か話しかけると、ちょっと考える素振りを見せてから、ややあって「カー」と頷きました。「まだ店に出るには早いけど、この人の所へ行くか?」とでも聞いていたのでしょうか。料金を支払い(忘れました(^ ^; )、夜になったら配達してもらうことにしました。
体は、膨らみかけの胸、数本生えてきた陰毛、きれいな筋、でした。2回目ということでしたが、立派に出血しました。
そうそう、出血と言えば、昔は年齢が若かったせいか、ボリスットの子は大抵出血しました。それどころか、2回目、3回目と言われて来た子でも、出血することが良くありました。完全に破れてなかったのか、小さく狭いので裂けてしまうのか(でも、そんな巨根じゃないですよ(^ ^;)、その辺はよく分かりませんが。それに対して、最近の子たちは、年齢も上がってきて体が完成に近づいているからなのか、出血する子が少なくなりましたね。挿入すると顔をしかめますから、ボリスットに嘘はないと思いますが。やはり、ボリスットを水揚げするからには、ちょっとでもいいから出血があって欲しいですね。放出した後に流れ出てくるものを拭き取ると、白い体液の中に一筋の赤いものが混じり……、なんて風流じゃないですか。こうなると「あぁ、本当にこの子の水揚げしたんだなぁ……」って、しみじみできます。出血多量は面倒くさいですが、全くないと言うのは寂しい限りです。
で、翌朝。帰る段になり、「店の場所分かる?」「あそこはなんて言う通り?」と聞くと「……サナァムビン」と答えます。当時は、あの通りがタノンサナァムビンだなんて知りません(ましてや、その先に昨日上空を通り過ぎてドキドキした空港跡があるなんて知る由もありません)から、てっきり昨日使った空港のことかと思ってしまいます。ですから、何を言ってるのかサッパリ訳が分かりませんでした。
で、このままではこの子が置屋に帰れないのではないかと(勝手に)心配してしまい、そんな距離でもないはずだからと、歩いて送っていくことにしました。ホテルを出て住宅街に入り込むと、懐かしいおこわの香りが漂ってきます。餅米を蒸かして食べるんですね。まるでお赤飯を蒸かしているかのような、思わず婆ちゃんの顔が浮かんで来てしまうような、そんな道を歩きながら、「今晩も来る?」と尋ねると、はっきりと「カー」と頷きました。大きな病院(?)の角を曲がると、置屋はまもなくです。
程なく置屋に着くと、その子は休む間もなく炊事仕事に取りかかりましたが、その姿が、とてもいじましく思えました。主人が出てきたので事情を話し、今日の分の支払いを済ませ、また夜の配達を頼んで店を出ました。
それ以後は、普通にタノンサナァムビンやそこ以外の置屋を冷やかしたり、カフェーを覗いたり、トゥクトゥクの運ちゃんに(自称)チェンライ大の女子大生という女の子を紹介してもらったりと、ごくごく普通の遊びをしていました(笑)。行かなかったのは、お風呂屋さんとゴーゴーバーですね。自分の思考(指向? 志向?)からすると、当然のことですが。
後日、あの置屋街の通りを「空港通り」と呼び、その先には今では使われなくなった飛行場があると聞いたときには、あの朝の謎が一気に氷解しました。それからは、行く度に偵察をかねてタノンサナァムビンを南下し、時には滑走路を歩いてみたりしたこともありましたっけ。
1軒あたりに女の子は少なく、基本的なレベルは落ちますが、時に掘り出し物というか、掃き溜めに鶴というか、めっけもんを拾えるのが、タノンサナァムビンの置屋。という印象でした。