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チェンマイ素人学(風俗)専攻の良太ソチンダです。タイの風俗に関する話題を中心に、日記感覚で気軽に更新していく予定です。 外道士族の方々のコメントをお待ちしています。なお、お店の紹介や女の子の仲介などはできません。
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  西日本は雨ですか?  東日本も明日以降天気が崩れそうです。台風の被害が大きくならなければよいのですが……

===今日のコメント===

=フェラあり先生

 いつもありがとうございます。

>タイの貞操観念は非常に強かったです。

 でしょうね。だからこそ、「タイの女性には素人か淫売のどちらかしかいない」式の意見が出てくる訳ですよね。

>ただし金絡み、「タダでは絶対失わない。」

 さすがタイ人(^ ^;
 タイ人の微笑みの後ろには、財布が口開けているって言った人がいました。カネが動くとなれば、満面の笑みで……(^ ^;

>ところが最近では中学生でも近所の学生とヤリまくっているみたいですね。ケップという人のオキニ、ニットちゃん14歳も4月に会った時は処女でしたが、今ではヤリまくっているそうです。

 これは自分も実感しました。昨年ホテルへ来た■学生で、外道にも投稿したファーイちゃんと言う子。一応ボリスットということで来たのですが、実は直前に売っちゃってたと言うとんでもない子です。コトの前にいろいろと聞き出して確認したのですが、一応体験(=お仕事)としては2人目には間違いなさそうでした。1人目はタイ人の客で、2回戦したと言っていました(^ ^;
 悔やんでも仕方ないのでコトをし始めましたが、そのときフェラはしたかと聞くと「してない」とのことなので咥えさせたのですが、やり方を知っているんですねぇ。ちゃんと舌は動かすし、手扱きもするんですよ(^ ^; 「ビデオで見たのか?」と聞くと(結構多いんですよね。興味本位で見たという子とか、仕事をするに当たって見てみたと言う子とか)、ビデオは見たことないと言いまして、「じゃあ、なんでやり方知ってるんだ?」とたたみ掛けると、「学校で友達にやってる」……
 目を点にしつつ、「フェーンかい?」と聞くと、ややあって「うん」との返事が返ってきました。
 休み時間とか、昼食の後にでもやってるんでしょうかねぇ。呆れてしまって、そこまでは聞きませんでしたけれど。

> あと、旅行者にとっては金より時間が貴重です。安かろう悪かろう女と時間を過ごすほど勿体無いことはないと思います。

 それは言えますね。カネより時間。まさに、Time is money でありましょう。

 追伸
 自分がこの道に踏み込んでしまったのは、初めて行った「17/3」(現在のカラオケ・チッカムの前身)で見つけた14歳の子がきっかけでした(^ ^;
 この後に、そのことをまとめてみました。

======

「ホントにチェンマイに行った日」

  初めてタイへ足を踏み入れた頃。今思うと、タイに対する知識も殆どなく、ただ日々の雑事に追われていました。拠点はバンコクの郊外でしたが、市内のホテルに宿泊していました。風俗関係は、2~3度、タクシーに頼んでいわゆる置屋に足を運んだことがある程度でした。それでも、たいして風俗に興味があるわけでもなかったので、満足していました。当時は1バーツが6円で、一晩あたり日本円で1万円ほどだったと思います。何でレートまで覚えているかというと、たまたま入ったレコード店で買ったCDが500バーツで、「日本で買うより高いなぁ」って思ったことを覚えているからです。当時のタイでは、CDはシンガだか日本だかでプレスしたものしかないと言うことで、まだまだ貴重品。鍵の掛かったショーケースに入っていたんですよ。テェプカセッなら50バーツぐらいだったと思います。
  あとの夜遊びは、型どおりにタニヤやパッポン。でも、オフはしたことがありませんでした。先輩がいる前でそう言うことをすることには抵抗があったからですが、それほど興味もなかったというのが正直なところです。

  そんなある日、所要でしばらくチェンマイに滞在することになりました。初めて乗るタイの国内線。今ではジャンボも飛んでくるチェンマイですが、当時の飛行機はジェットとはいえもっともっと小さい飛行機。便数も今の半分ぐらいだったでしょうか。それにあの頃のタイ航空国内線は、ほとんどの乗客が外国人。タイ人は半分も乗っていなかったような印象があります。きちんと、国際線並みの機内食が出てきたのも驚きでした。
  数日の滞在が過ぎ、明日はバンコクへ戻るという日の帰りの車の中。早めの夕食を終え、ホテルへ帰るものと思っていると、ずっと世話してくれていた通訳のタイ人がおもむろに言いました。
「もうチェンマイには来ましたか」
  意味が分かりませんでした。怪訝な顔で
「ここチェンマイでしょ?」
と答えると、彼はニヤリとして説明してくれました。
「若い子を抱かないとホントにチェンマイに来たとは言いません」
  今では考えられませんが(笑)、本当にチェンマイ童貞だったのでそう答えると、
「では、ホントのチェンマイに行きましょう」
「若い子は好きですか?」
  思わず、学生時代に経験した中学生とのことを思い出し、頷いていました(^ ^; でも、実際には、18とか19の子だろうなぁって、漠然と思っていました。

  そして連れて行かれたのが、「17/3」でした。ターペーからシャロンムアンを進み、市場の近くを左に折れてガタガタ道をゆっくり進み、「こんな所にあるの?」と訝しがりながら、到着しました。
「?  普通の家?」
  バンコクで行った所は、いずれも繁華街だったり、そうでなくてもカラオケ屋や美容院だったり(^ ^; と、一応店の体裁をなしていたのに対し、ここは看板も何もない普通の民家。普通の家と違うところと言えば、立派なコンクリート製の二階屋(三階?)、そして、屋根には不釣り合いに大きな衛星放送のアンテナがあったこと。脇に車を止めて、中に入ろうとすると出てきたのが眼鏡の旦那。このときは、まさか彼と、その後十何年も付き合うことになろうとは思いもしませんでした(笑)
  通訳の彼と旦那とは顔見知りらしく、肩をたたき合ったりして親しげに雑談しながら店内に進みます。後に続くと、中は暗かったのですが、すぐに電気が点き、中の様子が目に飛び込んできました。
  ガランとした、だだっ広い室内。片隅にベンチというか、ソファというか椅子が置かれているだけで、あとは何もありません。白い壁だけが目についたのを覚えています。2人がその椅子に座ったので、続いて自分も座って店内を見回しますが、今までとの違いに戸惑うばかり。

「女の子が並びます。好きな子を選んでください」
  ひとしきり旦那と話したあと、通訳が言いました。すると、旦那が大きな声で奥に向かって何事か叫び(または、壁に付いたベルを押したのか、今となっては覚えていないのですが)、するとドタドタ階段を下りてくる音が続き……
  出てくるは、出てくるは……  後から後から、女の子が続きます。総勢、十数人出て来て壁に沿ってズラリと並びました。
「え……」
  絶句でした。こんな形での対面は初めてでしたから。今までの店だと、せいぜい数人の中から選ぶとか、クラブ形式のシート配置の薄暗い店内で、ママの声に応じてオフ可の子が値段ごとに立ち上がり、その中から指名するとか。
  しかし、ここでは明るい室内で、しかも人数の桁が違う……  はっきり言って、まともに正視できず、喉はカラカラになってしまいました。
  通訳は、単純に迷っていると思ったのか、旦那に聞きながら女の子の説明をしてくれます。
「あの子は××歳、隣が××歳……」
「あの子は××歳だけど新人で……」
  年齢はほとんど中学生で、今と違って茶髪の子も皆無。だいたいの子が小柄で、中にはほとんどオカッパ髪の子もいたりしたので、ドレスこそ着ていますが、私服や制服でも着ていれば、まるで小学校か中学校の教室に迷い込んでしまったかのようでした。
  そんな中に、背も140センチそこそこくらい、髪は肩くらいの黒髪でまるで人形のように整った顔立ちの子がいました。顔をよく見ようとその子を見つめていると、その子が気に入ったと思ったのか、通訳が旦那にその子のことを聞いてくれたようです。
「その子は14歳、チェンライから来たばかりの子。美人ね」
「この子が好きですか」
  なんか、よく分からないうちに頷いていました。
  旦那が何事か叫ぶと、女の子たちはぞろぞろと出てきたドアに向かって引き上げていきました。

  車に乗って待っていると、程なく先ほど選んだ子が私服に着替えて出てきました。隣に座った彼女を見ると、本当に人形のように整った横顔です。おでこで一直線に切りそろえた前髪がまるで日本人形のように可憐な印象です。こんな可愛い子にもアレが付いているんだ……、などと考えると、それだけで臨戦態勢になってしまいました。
 
覚えたてのタイ語で、
「サワディークラップ」
と言うと、初めてちょっと微笑んで
「サワディーカー」
と応じました。しかし、その声を聞いてびっくり。甲高い、まんま子供の声でした。
「美人です。今夜は寂しくないですね」
 通訳は、ニヤリとして言いました。

  ホテルに帰り、部屋の中で改めてその子をよく見ますが、小柄な細身の体で胸も殆どありません。しかし、顔は恐ろしいほどに整っています。ただ、悲しいかな、言葉が通じません。今なら、ここでギャグの1つもかまして笑いを取るところですが、まだ挨拶と名前ぐらいしか言えない上に、ホントに子供のような彼女を前に緊張しきってしまい、ろくにコミュニケーションも取れないうちに、でもムラムラしてきてそのままベッドに押し倒してしまいました……

  これが、私がこの道に嵌ってしまったきっかけでした。
  以後、一旦タイを引き揚げることになってからも、年に1回から2回、用務にかこつけてはチェンマイに通い、眼鏡の旦那との親交を深めていくことになるのでした。

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年代は?
 1バーツが6円ということは、1990年頃でしょうか?もうちょっと前かな?おそらくその14歳もタイ人ではなく、山岳かミャンマーだったんじゃないのかなあ?あの頃は北部の子のほとんどがバンコクかハジャイに出ちゃってたはずです。それとも14歳だとまだまだ地元で研修期間だったのかなあ?
フェラあり 2006/09/17(Sun)11:03:45 編集
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