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チェンマイ素人学(風俗)専攻の良太ソチンダです。タイの風俗に関する話題を中心に、日記感覚で気軽に更新していく予定です。 外道士族の方々のコメントをお待ちしています。なお、お店の紹介や女の子の仲介などはできません。
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  9月も,最終週に入りました。今年も残すところ,あと(。_゚☆\ ベキバキ

===今日のコメント===

=フェチやまさん

  ようこそお越し。

タイ売春読本は、立ち読みしたことがあります。タイからの抗議で無くなり、タイトルを換えて「歩き方」になったと思っていました。内容違うのですか?(歩き方は持っています)

  そのお話を聞いて、「そう言えば、どこかでそんな話も聞いたことがある」って気がします。念のため、両書を比べてみましたが、地図、写真などには全く同じものが見られました。記事には似たようなものもありましたが、全く同じというものは見つけられませんでした。
  最初「歩き方」を買ったときには、よく似た本だなぁとは思いましたけれど……

  結論。似てはいるが、全く同じ本とは断言できない。しかし、別の本とは言い難い。

チェンライの一色さえの記事が気になってチェンライまで行きました。もちろんいませんでしたが。

  出版の場合には、タイムラグがありますからねぇ。現在なら、「外道の細道」でチェックですね>紘さん、ヨイショ(笑)


=らぶさん  「こんにちはー。」

こんにちはー。 遊びに来ましたー。

  イラッサイマセー。

さっき、先生の部屋で 『今日の出来事』 のお話を聞いて、驚いて飛んできたんですよ。

  よく見ている番組で、その日も何気なく見ていました。ここ最近の流れですと、このブログの原稿作りながら、って言うのが多いです。ただ、今回のクーデターの件で、日本のテレビの中ではNTVの内容が一番充実していたように思うので、関連の内容があったらと言うことで、たまたま録画していました。
  もし、ご希望があるようなら、ここで再放送させていただきます。

NTVも自分の会社内のセクハラがばれたからって、僕達を攻撃すなくてもいいじゃんかよー って感じですね。

  退職したというアナウンサーですな(^ ^;
  しかし、他に攻撃対象を作っておかなくては、自分たちが攻撃されちゃうでしょ(^ ^;

  後、以前にテレビ朝日?では、チッカムの旦那が隠し撮りで出演しちゃったりしましたね。旦那、困っていましたよ。

ということで、今日はご挨拶まで。 また遊びに来まーす。

  よろしくお願いします。お待ちしています。

子供部屋行きたい・・・・。

  今思えばすごい時代でしたね。自分は行ったことはないんですけど。知っていれば、当然行っていたと思いますが、今までMPはバカにしていましたからねぇ……

======

「ヴィアントンハウス」

  いつ頃でしたかねぇ、17/3がタノンマヒドンへ移ったのは。考えてみると、17/3だった時代って相当昔のような気がしています。99年、2000年と言う頃でしょうか。不思議なことに、移転した頃の記憶が全くありません。

  まだ17/3だった頃、いつものように店に行き、お茶をもらったのも懐かしい思い出です。恐らく、2回目か3回目に行ったときでしょう。「茶」と言う単語すらも分からなかった頃のことです。タイとは言え、日本語だけで充分な環境でしたから、当然と言えば当然のこと。店に入ると「良く来たな。まぁ、飲め」と出てきたのが、チャーヂンでした。「なんとかかんとかチャー」と言われました。その時は、日本人だから「茶」と言ってくれたんだなって思っていました。今から思うと、「なんとかかんとかローンナァムチャァ」とでも言っていたのでしょうね。

  何回か通うと、旦那も顔を覚えてくれ、店先で再会を喜び合って抱き合ったりして、たまたまいた店の女の子が目を丸くしていたこともありました。また、あの顔見せにも堂々と対応できるようになってきました。鷹揚にお茶やビールを飲みながら、旦那にいろいろ聞いてじっくりと品定めをするようになっていきました。
  90年代の半ば頃だと、年齢の中心は18歳と言うところでしょうか。今のように茶髪にしている子もなく、ただベテランになってくると、いわゆるタイのお水のお姉さん型ヘアスタイルになっていきました。前髪に特徴のある、あのスタイルです(って、分かるかなぁ、分かんねぇだろうなぁ、by 松鶴屋ちとせ)。でも、自分はそう言うタイプは苦手なので、あくまで普通のヘアスタイルの子、そして若い子、日数の浅い子が中心でした。

vhiangthonghouse2.jpg
「VHIANG THONG HOUSE」の名刺(これは、移転してしばらくしてからもらったもの)

  ある日、「また行くよ」と電話したら、店が移ったって言われたのだと思います。でも、ちゃんと行けたんですよね。どうやって行ったのかな。たぶん、トゥクトゥクを捕まえて、そのまま旦那に電話して、「店の場所説明してよ」って電話をトゥクトゥクドライバーに渡した……、そんなところでしょう。
  初めてVhiang Thong Houseに行った時は、行くのに通りを見ていたはずなのですが、結局場所がよく分かりませんでした。トゥクトゥクって、結構外は見にくいですしね。また、お恥ずかしい話ですが、これだけチェンマイに通っていて、チェンマイ全体の地図が頭の中で構成され出したのは、つい最近のことなのです。それまでは結構広いと思っていたチェンマイの街なのですが、今までバラバラに頭の中に存在していたチェンマイの各地が、大体結びついてきた今になると、ことのほか狭いので驚いています。例えば、タノンケーオナワラート(ナコンピン橋の方です。プリンスロイヤル校とかちょっと行くとパヤップ大等がある所です)なんていうのは、とんでもないあっちの方というイメージだったのですが、ナイトバザールからでも1キロないぐらいなのですよね。まあ、これもバイクで動かないせいだったのかもしれません。

vhiangthonghouse1.jpg
移転した時にもらった、旦那手描きの地図

  ところで、タノンマヒドンに移ったVhiang Thong Houseでは、頻繁に警官の姿を見るようになりました。もっとも、警官とは言っても幹部らしく、また、制服ではなく私服で来ます。最初は客だと思っていたのですが、聞くと警官だと言われました。もともと、移転した理由というのも、取り締まりのせいらしいです。なんか問題が大きくなってしまったとかで、17/3を閉めて新たに開業したとかいう話でした。
  そう言えば、ちょうど2000年頃というのは、チッカムにとって一大転機の年だったようで、賄賂のお手伝いをしてあげたこともあります。ある日、いきなり旦那から電話が掛かってきて、「とにかく金がいる。助けてくれ」ってSOSが来たこともあります。そう言う無心の電話は初めてで、「もしかして、タイ人の例のアレか?」等と思ったりもしました。しかし、結構いい思いもさせてもらっていたので、いくらかは忘れましたが、捨てたつもりで何万バーツかを当時の泰華農民銀行(カシコーン銀行)の口座に振り込みました。そして、今思うとその頃からですね、自分には一切金を払わせずに、旦那が夕食の場を設定するようになったのは。

※本日の画像、一部モザイクを掛けさせていただきました。

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初めまして
こんばんは。お初です。遊びに来ました。

「歩き方」系の本ですが、先月大阪ナンバのジュンク堂書店(大阪でも1・2の大型書店)で特設ワゴンコーナーをつくり、山盛りで売っていました(笑)。
「歩き方」意外にもサブカル的な風俗本でいっぱいでした。こんなにも外道本があるんだと改めて驚きました。
私も何冊かパラパラと立ち読みしましたが、真剣に読みふけっている若い女の子もいました。
イサーン・ハント 2006/09/25(Mon)03:55:04 編集
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