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チェンマイ素人学(風俗)専攻の良太ソチンダです。タイの風俗に関する話題を中心に、日記感覚で気軽に更新していく予定です。 外道士族の方々のコメントをお待ちしています。なお、お店の紹介や女の子の仲介などはできません。
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  今日あたりは、昼間の風はすっかり秋のもの。空を見上げると、いつの間にかモクモクした夏の雲から、サァッサアッて箒で掃いたような秋の雲になっていました。過ごしやすくなるのはよいのですが、タイ好きにとってはやはり暑い方が合っているように思います。

 今日は、コメントだけで記事はありません(原稿が間に合いませんでした(^ ^;)。

===今日のコメント===

=フェチやまさん  「初めまして!」

良太ソチンダさん、おはようございます。初めまして。フェチやまと申します。

  こんばんは。お名前は伺っておりました。ようこそお越し。

Dr.フェラあり先生より命名していただきました。

  それはそれは、粗末にできませんね(笑)。自分の名前なんか、スッパリDr.にすっぱ抜かれたとおりの意味ですからお恥ずかしい限りです。もっとも、紘さんのナニは見たことがありません(笑)ので、ソコだけは自分のモノのつもりでいましたけれど(^ ^;

私2001年8月に初訪タイしました。その頃は外道の細道も知らず、情報源は「タイ 夜の歩き方」でした。この本は、多くの間違いをドクターが指摘されていましたが、外道旅のことの情報が無かったのでいたし方ありませんでした。

369cac2e.jpg

  1997年に出版された本ですね(写真参照)。
 まぁ、内容についていろいろと言われていますが、叩かれるのも分かり切っているのにあの手の本を出版した勇気に脱帽ですね(笑)。

 しかし、この本よりも先に、国辱物であるとしてタイで叩かれることになった本が出ているんですよ。ご存じですか?

3aac82f4.jpg

 1994年に出版されました。まぁ、前書に劣らず??という所もありましたが(笑)
 貴重な資料と言うことで、一応所蔵しております(笑)  なにせ、この手の本のハシリとも言うべき、貴重なモノですから(笑)

何故こんなことを書くのかというと、良かった頃(若い子がたくさんいたころ)のチェンマイに行きたかったなぁ、と良太ソチンダさんをうらやましく思うからです。

 まぁ、外道の細道の前書きではありませんが、徒然なるままに書き記していきたいと思っています。折に触れて茶々入れしていただければ、関連したことが出てくることと思います。
  だだ書いていうこと思っても、なかなか出てこないことって多いんですよね。

現在のチェンマイの様子も含め、ブログ楽しみにしています。よろしくお願いします。

 ありがとうございます。ただねぇ、現在のチェンマイって言っても、殆どチッカムしか知らないもので、お役に立てるかどうか(^ ^;
 こちらこそ、よろしくお願いします。

 


=フェラあり先生  「淫売のお祈り」

  毎度、おおきに。

 最近の淫売には見かけませんが、80年代に日本でタイ淫売を買っていたころ、みんなセックスの前にベッドに座り込んで仏に祈りを捧げていました。

 いやぁ、今でもいますぜ、ドクター。ここ最近の「細道」の投稿でも拝見しましたし、この8月に自分も体験しました。あの、スティサーン・インターの学歴詐称女だったかなぁ(^ ^;

風呂上りに素っ裸でベッドに頭を擦り付けている時なんか、後ろからみると開脚マンコが丸見えでした。ゆっくりと鑑賞させていただきました。

 そうそう、ベッドの頭の所に壁に向かって座って2度3度と頭を擦り付けるんですね。

いつか仏様のバチが当たるでしょうね。

 それは、神のみぞ知る。いや、仏のみぞ知る(^ ^;

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 では、また。

 

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  クーデターは一応の終結を見たようですね。
  どこぞのブログでも盛んに言われていましたが(笑)、タクシンが打ち出したさまざまな制約が少しでも消えてくれるといいですね。

===今日のコメント===

=フェラあり先生

  いつもありがとうございます。

 これはナタリー嬢から聞いた話なのですが、タマダー、ピーセット等は基本的に自己申告だそうです。

  えぇーーっ、そうなんですかーーー?
  これは、お店のマネジャーあたりが総合的に判断して「あんたはサイドね」「あんたはピセート」「キミはどうあがいてもタマダーね」とかやっているのだとばっかり思っていました(^ ^;
  そう言う訳で、ピセートなのに大ハズレの籤引かされちゃう人がいるんですねぇ。なんか意味ない気がしてきました……。

薄利多売でいくか、博打的に大金を狙うか。

  そうすると、ヘタに「サイドだぁ」「モデルだぁ」「ピセートだぁ」って騒ぐよりも、タマダーをじっくり選ぶ方が当たる確率高いかもしれないですね。
  この前、コージーでお相手いただいたスゥちゃんも、自分でタマダー選んでいたのかなぁ。ほどほどにタルンで、でも仕事はきっちり気持ちよくやってくれたし、最初の支払いの時にタマダーだったからちょっと心配したのも、ぶっ飛んでしまうようなお嬢さんでしたよ。

日本人的心情で言うと同じ店で値段に差があるのは可哀想な気がするのですが、実態は全く違うようです。

  お店サイドで客観的に決めていたのであれば、値段の差も納得できますが、自己申告だとすると、何だかなぁって感じですね。
  店によっては、お店サイドで決めているところもあるんでしょうけどね。初めてのお店で、「タマダー、ピセートって誰が決めてるの?」って聞いたら、教えてくれるかなぁ。

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「プーケット その2」

 もう一つのプーケットで馴染みの店は「洛美」。さて、なんと読みましょうか……。

 正解は「ロビー」です。
 最初、読み方が分からなくて、玄関にあった行灯にかかれた洛美の文字を見て、勝手にラクビと呼んでいました。そして、後には聞いた感じや示された英文「Lobby」を元に「そうかぁ、ロッブビーって言うのね」と思っていました。暫くはそう思っていたのですが、ある時はたと気づきました。「ロッブビーじゃねぇよ、ロビーじゃねぇか」って(^ ^;
 英語がそのまま漢字に音訳され、それを馴れないタイ語で聞いていたがための悲劇でしょうか。耳には、「ノッビー」とか「ローミー」とか、そんな感じに聞こえていたと思います。

 おっと、本題に戻りましょう。
 場所はどこなのでしょうか。今となっては、思い出せません。観光客相手にそれなりの盛り場を開発してある所に出店した店(ラブカラオケですね)と違い、普通の屋並みの中に埋もれるようにあったのが洛美でした。ですから、余所者には分かりにくくて当然かもしれません。日本でも下町にあるような、粋なしもた屋風の建物だった(行灯があるんですからねぇ)ような記憶と、店のそばを川が流れていたことが記憶にあります。

  この店には比較的若い子が多く、そうねぇ、年の頃ならほぼモー1からモー3と言う子達でした。ある時、ピックアップした女の子と、借り上げのトゥクトゥク(ご存じかとは思いますが、プーケットのトゥクトゥクは日本で言う軽トラの荷台に座席をソンテーオ付けたものです)でビーチのホテルへ戻りました。途中、彼女が山の途中にある中国寺院を見て、お参りしたいと言ったので寄ってもらいました。
  夜だというのに結構な人出で、もしかしたら何かお祭りだったのかもしれません。お参りセットを買ってやり、彼女に続いて境内へ入ります。仄かな明かりの中でお参りする彼女。一心にお祈りする彼女を見ていると、何か幻想的な雰囲気に包まれてきます。

  どんな事情があって、今こうしてプーケットの置屋にいるのかは分かりませんが、こうやってお参りしているのを見ていると、ごくごく普通の女の子にしか見えません。自分も形ばかりですが、赤をタンブンしました。

  今日のNTV「今日の出来事」。ご覧になりましたか?
  「外道オフ」の模様が放映されちゃいましたよ……
  映ったHPの画面見て,凍り付いちゃいました……  内容は,壊滅させられたスワイパーに始まって,外道オフからタチレクでの炉利買いの映像でした。タチレクで買ってた人として映っていた人も,読者の方でしょうか(^ ^;

===今日のコメント===

=フェラあり先生

  いつもありがとうございます。

我がチェンライ、ノンブア村は去年まで有線電話なし、携帯も圏外でした。(庭にアンテナを建て、それに携帯をつないで使っておりました。)

  タイでは,とんと圏外は経験したことがありませんでした。と言うか,圏外を経験したのは,数年前にチェンマイから寝台でバンコクへ向かった時くらいのものでした。ドンムアンを9時の飛行機に乗るのに,チェンマイを早朝に出るよりも楽だろうと乗りました。結構早い時間で山の中に入りましたが,そうしたら電話が圏外になっているのを見つけて,ほぉ~と感心したものです(^ ^;

 しかし今年になって村の近くに電波塔が建ったので、村もめでたく圏内になりました。

  嬉しい反面,そこまで世俗が追いかけてくると言うことになった訳ですね。

そしたら、、、おっしゃることわかります、向こうからかかってくる電話の声のうるさいこと、うるさいこと、以前の習慣で怒鳴るようにしゃべっているんですよね。技術が改善されていることがタイ人にはわからないのでしょうか?

  だって,タイ人ですから(笑)。
  でも,共感していただけて幸いです(笑)。しかし,現在の電話しか知らないような高校生でも,そうですからねぇ。周りの大人を見ていて……,と言うことなのでしょうかねぇ。

 唯一つ、感心するのはゴーゴーバーの大音響の中でも平気で電話できること、、あれは日本人には絶対マネできません。

  (笑)分かります,分かります。
  そう言う姿を見ると,タイ人はやっぱりしたたかだって,思いますね。

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「プーケット  その1」

  プーケットでは、タウンに勝手に馴染みにしていた店が2軒ありました。もう10年行っていませんから、今もあるかは分かりません。
  1軒は、タノンプーンポーンのプーンポンナイトバザールにある「ラブカラオケ」。もう1軒は、場所はよく分からない(^ ^; のですが、小さな川の近くの置屋「洛美」です。
 こちらでは、一見さんと言うこともありますので、普通に遊んでいただけです。それでも、ラブカラオケではオキニができ、2年くらい通うことになりました。
 初めてラブカラオケに行ったとき、ママさんのコールによって、価格ごとに女の子が立ち上がりました。2000バーツだか2500バーツだかの一番高いピセートのところで立ち上がった子の中に笑顔の可愛い子がいたので、その子に決めました。性格もおとなしく、控えめな子でした。
 再度プーケットへ行ったとき、ラブカラオケに行くとその子がいて、覚えていたのかニコニコ見つめられました。なんかグッと来るものがあり、その子にしました。次に行ったときには、始めから3日ほど連続で連れ出すことにしたりもしました。
 そんなことを何回か続けて、いつものようにラブカラオケへ。もうすっかり顔なじみで、当たり前のようにその子が付きました。ところが、支払いの段になるとびっくりすることが起きました。ピセートからタマダーになってしまっていたのです。鮮度が落ちれば、そうなるのも当たり前と言えば当たり前のことなのですが、ちょっと悲しくなりました。安くなるのはいいのですが,なんか寂しかったです。
 そして、もっと悲しい出来事が起きました。いつものように,ラブカラオケに行きましたが,彼女はいませんでした。ママさんに
「もうオフされちゃったの?」
と聞くと,
「田舎に帰った。もうここにはいない」

  10年以上前の話ですから、まだまだ携帯電話は高嶺の花。だから,彼女とは連絡先の交換もしていませんでした。どうせ店に行けば会えるし,店でしか会えないのですから,それでいいと思っていました。初めて買っていったお土産が悲しかったです。

 大丈夫なのでしょうか。
  タクシン・チナワッ、最近ちょくちょく国外へ出ていましたが、いない隙に何かなければいいけどって、漠然と思っていました。そしたら、ホントに……  それなりに詳しい人の話を聞くと、このままタクシンが暴れさえしなければ、このまま終息しそうな雰囲気ですが。
 せめて、一般大衆に犠牲が出ないように祈っています。

  今日は、ちょっと一休みして「雑記」です。よろしくお付き合いください。

===今日のコメント===

=フェラあり先生

  いつもありがとうございます。

 僕が初めてチェンライに行った時はまだ旧空港でした。

  街に近くて良かったですよね。なんてったって、歩いても行けます。ただ、ジェット下ろそうと思うと無理があったんでしょうね。それにしても、新しい空港は稲穂が眩しいです。

ロビーに新空港の模型があり、「JAL」と書かれた飛行機の模型もあったので、「新空港には日本直行便も来るのか?」と質問したら、「チャオ」と空港女スタッフが答えていました。(ウソつけ!)

  現実の問題として、成田-チェンマイも撤退しちゃったしなぁ。これは、1度だけ乗りました。その時は成田-バンコクのキップしかなかったので、TGに電話して乗れるか聞いたら「ルートとしてチェンマイまでのキップがあればいいので、国内線のバンコク-チェンマイを買ってください」と言われ、成田でそれを買って乗りました。逆に言えば、バンコクに行くんだったら、そのまま乗れたのかな?
  しかし、搭乗率はメチャメチャ低く、ビジネス3割、エコノミーで5割という感じでした。休航になったのも仕方ないかも。日本からチェンマイに昼過ぎに着けたのって、魅力的だったんですけどね。

 出血の原因は膜破り以外にも色々あります。

  慣れてないから、擦れて傷つくとかなのでしょうか。

要は買った男が一晩ではなく、スムーズなハメハメ可能まで面倒を見てやる、これこそが外道としての最低のエチケットではないでしょうか?

  最低のエチケットすら守れず、申し訳ありません。他の国では、3日とか1週間とか連続で……、という話も聞きますが、チェンマイでは聞いたことがありませんでした。

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「ケータイ電話」

 そう言えば、この9月1日から携帯電話の番号が1桁増えましたね。って、まだ体験はしていないんですけど。もう手続きなさった方はいらっしゃいますか?  今まで、01-234-5678だったとしたら、最初の0の後に8を追加しなければなりません。すなわち、上記の番号ならば081-234-5678になると言うことです。

 タイの携帯電話は(と言うよりも、日本以外の携帯電話は?(^ ^;)、SIMというメモリチップで情報を管理していますね。ですから、どうやらそこに書き込まれている情報を更新しないとダメなようです。
 日本では、携帯電話の番号が変わったと言っても、利用者側には特に必要な手続きはありませんでした。しいて言えば、電話帳の番号を書き換えなければならなかったことぐらいですか。
 ところが今回のタイの場合、11月末日までにSIM更新の手続きをしないと、着発信ともに不能になるとアナウンスされています。ちなみに、11月末日までは旧番号・新番号ともに有効だそうです。
 問題は、期間中に更新できなかった番号の取り扱いです。まさか、そのまま廃止と言うことはないでしょうけど(^ ^; たぶん、復活のための救済措置があると思いますが、それがいつまで持つのかというのが重要です。たぶん、ヒヤヒヤしながら自分のケータイの運命を見つめている、年に1回リピーターや半年に1回リピーターのお父さんもいらっしゃることでしょうね。毎月のようにタイに行ってる人は、どうぞ勝手に電話会社の窓口に行ってくださいね。

 しかし、ケータイがこれだけ普及するようになって、外道活動もずいぶん楽になったものですよね。一番は、女の子にコッソリ連絡できるようになったこと。この一言に尽きます。プロの子にしろ、アマの子にしろ、直で繋がるケータイがあると、とっても便利です。まぁ、アマの子だとリフィルできてなくて、受けるだけで掛けられない……という子もいますけど(^ ^;
 自分も、ずいぶん女の子のケータイ番号が集まりました。1年経ったときに、どれだけ繋がるか、チョッピリ楽しみです。
  また、自分の場合は、在チェンマイの時にはチッカムの旦那とのホットラインにもなります。だいたい、午後4時過ぎると「メシ食いに行くぞ」って、お呼び出しコールが掛かります。

 ところで最近のケータイ電話は、タイでもいろいろなサービスが実施されています。身近なところではSMSサービス。日本で言う、メールってヤツですね。最近では、写メールとか着メロも加わってるんでしょうか。
 そんな中で最近増えているのが、逆着メロ?とでも言うべきもの。掛けた方に、一方的に相手の好みの曲を押しつけてくる、とんでもないヤツです。最初はビビリましたね。発信ボタン押したら、いきなり曲が聞こえてくるんですから。
 でも、あのサービスって、繋がったとたん(曲が聞こえ始めたときから)通話料が掛かってくるのでしょうか?

 それにしても、タイ人って、なんであんなでかい声で電話するんだろ……(^ ^;  タイ語の(と言うより、日本語以外の特性?)有気音?も関係あるとは思いますが。オイオイ、電話で喧嘩かぁ?  なんて思って見てみると、ニコニコ笑って話してたりして。
  ホテルの室内とはいえ,夜中の1時2時にあの怒鳴り声のような電話は,ちょっとゴメンして欲しいですね……(^ ^;

  すっかり秋……、なんて思っていたら、今日は暑かったですね。皆さま、いかがお過ごしですか?

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「チェンライ」

 チェンライは、5年ほど前に行ったのが最後になります。それまではちょくちょく出かけていました。チェンマイをベースに1~2泊で行くのが常でした。大半の荷物はホテルに預け、身軽になって朝の飛行機でチェンライ入り。このCNX-CEIの路線は、やがてタイインターからエアアンダマンに移管されましたが、今では運行をやめてしまいましたね。TG時代は常に満席で飛んでいたと思うのですが、(路線を移管してしまった、更には移管されても休航になってしまったと言うことは)それでも採算はとれないと言うことなのでしょうか。
 そして、一応保険として翌日か翌々日の夜のチェンマイ行きの座席も押さえつつ、気分によっては、飛行機はキャンセルして昼間のバスでチェンマイに戻る、というのがパターンでした。チェンライは小さい街で、ホテルもTGの事務所も近いのでできた技でしょう。その時、クレジットカードで買っていると払い戻しが面倒くさい(カード会社の方に振り込んで貰わねばならないので書類を書かねばならず、手続きも面倒だし時間も掛かります)ことを覚え、以後この区間だけはキャッシュで買っていました。と言っても、片道400バーツくらいでしたけどね。
  チェンライではワンカム(次いで、ウィアンイン)に宿を取ることが多く、馴れてくると歩いてタノンサナァムビンまでよく出掛けたものです。
 初めてチェンライに行ったのは、現在の田んぼの中の空港ができたばかりの頃でした。やがて着陸というアナウンスが流れ、すぐ下に滑走路が見えるのにそこを通り過ぎていくものですから、何かあったのではないかとドキドキしました。やがて、まだ工事が続いていたチェンライ国際空港に無事着陸し、ホッと胸をなで下ろしました(^ ^;

 最初は勝手が分かりませんから、店探しにはトゥクトゥクのお世話になります。夕方近く、今で言うタノンサナァムビンの旧滑走路に向かって右側の置屋に連れて行かれました。普通の民家です。ブロック塀の感じがちょっとした食堂にも見えますが、メニューもテーブルもありません。でも、入り口の近くには竈があり、女の子が飯炊きをしています。
  顔見せをしてもらいますが、人数も少なく、ちょっと気に入った子はいませんでした。そう言うと「なら、この子はどうだ?」と指さしたのが、なんとさっきからそこで飯炊きをしていた子でした。
「えぇっ」
 実は、店に来たときからちょっと気になっていた子でした。年の頃なら13~4。色白で胸もほんのり膨らみかけ。145センチあるかないかという子でした。でも、飯炊きをしていたので、客を取る子ではないと思っていました。聞くところによると、数日前に水揚げを済ませ、本格的に店に出る前に店の下働きをしていたところのようです。
 主人が何事か話しかけると、ちょっと考える素振りを見せてから、ややあって「カー」と頷きました。「まだ店に出るには早いけど、この人の所へ行くか?」とでも聞いていたのでしょうか。料金を支払い(忘れました(^ ^; )、夜になったら配達してもらうことにしました。

 体は、膨らみかけの胸、数本生えてきた陰毛、きれいな筋、でした。2回目ということでしたが、立派に出血しました。
 そうそう、出血と言えば、昔は年齢が若かったせいか、ボリスットの子は大抵出血しました。それどころか、2回目、3回目と言われて来た子でも、出血することが良くありました。完全に破れてなかったのか、小さく狭いので裂けてしまうのか(でも、そんな巨根じゃないですよ(^ ^;)、その辺はよく分かりませんが。それに対して、最近の子たちは、年齢も上がってきて体が完成に近づいているからなのか、出血する子が少なくなりましたね。挿入すると顔をしかめますから、ボリスットに嘘はないと思いますが。やはり、ボリスットを水揚げするからには、ちょっとでもいいから出血があって欲しいですね。放出した後に流れ出てくるものを拭き取ると、白い体液の中に一筋の赤いものが混じり……、なんて風流じゃないですか。こうなると「あぁ、本当にこの子の水揚げしたんだなぁ……」って、しみじみできます。出血多量は面倒くさいですが、全くないと言うのは寂しい限りです。

 で、翌朝。帰る段になり、「店の場所分かる?」「あそこはなんて言う通り?」と聞くと「……サナァムビン」と答えます。当時は、あの通りがタノンサナァムビンだなんて知りません(ましてや、その先に昨日上空を通り過ぎてドキドキした空港跡があるなんて知る由もありません)から、てっきり昨日使った空港のことかと思ってしまいます。ですから、何を言ってるのかサッパリ訳が分かりませんでした。
 で、このままではこの子が置屋に帰れないのではないかと(勝手に)心配してしまい、そんな距離でもないはずだからと、歩いて送っていくことにしました。ホテルを出て住宅街に入り込むと、懐かしいおこわの香りが漂ってきます。餅米を蒸かして食べるんですね。まるでお赤飯を蒸かしているかのような、思わず婆ちゃんの顔が浮かんで来てしまうような、そんな道を歩きながら、「今晩も来る?」と尋ねると、はっきりと「カー」と頷きました。大きな病院(?)の角を曲がると、置屋はまもなくです。
 程なく置屋に着くと、その子は休む間もなく炊事仕事に取りかかりましたが、その姿が、とてもいじましく思えました。主人が出てきたので事情を話し、今日の分の支払いを済ませ、また夜の配達を頼んで店を出ました。

 それ以後は、普通にタノンサナァムビンやそこ以外の置屋を冷やかしたり、カフェーを覗いたり、トゥクトゥクの運ちゃんに(自称)チェンライ大の女子大生という女の子を紹介してもらったりと、ごくごく普通の遊びをしていました(笑)。行かなかったのは、お風呂屋さんとゴーゴーバーですね。自分の思考(指向? 志向?)からすると、当然のことですが。

 後日、あの置屋街の通りを「空港通り」と呼び、その先には今では使われなくなった飛行場があると聞いたときには、あの朝の謎が一気に氷解しました。それからは、行く度に偵察をかねてタノンサナァムビンを南下し、時には滑走路を歩いてみたりしたこともありましたっけ。

  1軒あたりに女の子は少なく、基本的なレベルは落ちますが、時に掘り出し物というか、掃き溜めに鶴というか、めっけもんを拾えるのが、タノンサナァムビンの置屋。という印象でした。

  台風騒ぎは、一段落した模様ですね。被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げます。

===今日のコメント===

=ナナレンジャーさん

  お帰りなさいませ。

貴重な、そしてすばらしい体験ですね。

 貴重は貴重でしょうが、素晴らしいことかどうかは分かりません。決して世間には公にできないことですから(^ ^;
  だったら、こんな所に書き込んでるんじゃない(。_゚☆\ ベキバキ
  失礼しました。

想像しすぎて頭が変になりそうです(笑)

 実際に体験していると、自分のような廃人になってしまいます(^ ^;

90年代、良き時代ですよね~

  80年代の方が“もっと”よき時代だったみたいです。チェンマイまで行ってやっていたことが、苦労せずバンコクでも体験できていたみたいですから(^ ^;

 

=コンさん

初めまして。203号室住人ゲドタイ語担当のコンでございます。301号室へようこそ。ご挨拶が遅れました。またお邪魔します~。

 ブログ初体験で、処女の如く緊張しています(笑)。こちらこそ、よろしくご指導のほどお願いいたします。
  なお、当方のリンク欄に加えさせていただきました。

 

=フェラあり先生

  いつもありがとうございます。

 12歳、胸ナシ、パイパン、ですよねえ。僕は個人的には、「初潮前にヤルのは変態、初潮後にヤルのが正常。」と思っているのですが、どうでした?

  しばらく経って、ボキャが増えてくると「生理あるの?」「いつから?」なんて聞いたこともありますが、この頃はまだそんなことまで聞けませんでした。ただ、体型からすると未だ成らざるではなかったかと思います。
  それでも、初潮前だった子というのは、この子も含め数人に過ぎなかったのではないかなぁ。

 女ってメンスが始まると、なにげない仕草自体が変わってくるのですよ。そうなるとこちらも臨戦体制OKなんですけどねえ。

  継続してお付き合いいただいたことがないもので、自分としては何ともお答えのしようがありません(^ ^;
  しかし、初潮が来たと言うことは、種の保存に関しては一人前になったと言うことですから、より効率的に、より良い雄を確保するための手練手管が働き出すと言うことは充分に考えられますね。

 

=有馬村さん

  初めまして。今後ともよろしくお願いします。

何時も楽しく読まさせて貰っています。

  いやー、お恥ずかしい限りです(^ ^;

昔は本当に良かったんですね、羨ましいです。

  まあ、昔は良かったって言うようになるともう年だそうですから、明るく未来を向いていきましょう(笑)

処で余計なことですけど、
ちょっと前は1Bが10円
少しして一時期1Bが2・5円位にまで上がった
ですよね~。

  なんか混乱してしまったようです。すみません。バーツと円とがごっちゃになってしまいましたね。
  念のため、訂正して時系列で並べてみるとこんな感じですか。

  自分が行く前(1バーツ=10円)→自分が行った時(1バーツ=6円)→通い出して(1バーツ=2.5円)→去年くらいまで(1バーツ=2.7円)→今(1バーツ=3.2円)

  しかし、最高値まで行っていた頃(10年ちょっと前くらいですか)には、両替の度にバーツが増えていくもので、顔なじみになった窓口の人が「スゴイネー」と驚いていました。

 ※本文も訂正させていただきますm(__)m

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「ホントにチェンマイに行ってから その2」

 (今日)2回目の子がいると言うことは、当然(これから)1回目を済ませる子もいる訳で、是非ともそれを体験したくなってきました。でも、ボリスットだろう? 簡単に斡旋するのかなぁ……

 恐る恐る旦那に
「ボリスットってできるの?」
と言うと、
「できる、できる。欲しいのか?」
「うん」
 これだけでした。何か拍子抜け。

  このときから、基本はボリスット買いになりました。泥沼化の始まりです。以後は、日本での稼ぎは、たまの所用にかこつけては通うチェンマイでの民間援助活動にその多くを吸い取られるようになってしまいました。まさに、ジャパゆき、出稼ぎ状態です(^ ^;

  また、それからは、行く前に電話しておくと、めぼしい子に当たりを付けておいてくれるようになりました。
  そして、時間に余裕があるときには、チェンマイだけではなくチェンライプーケットにも足を伸ばすようになってきたのもこの頃でした。恐らく、チェンマイ以外の地が終焉を迎える時期に出くわしたのではないかと思います。

  本日アップした「サコドゥアン」「バンノンジャブ」についての資料として、当時もらった名刺をアップしておきます。

「サコドゥアン」

 

「バンノンジャブ」 

 


  やはり台風が来ますねぇ。九州を始め西日本の皆さま、お気を付けください。東日本の方も、激しい雨の地域があるとのことです。充分にご注意ください。

===今日のコメント===

=フェラあり先生

  いつもありがとうございます。

> 1バーツが6円ということは、1990年頃でしょうか?もうちょっと前かな?

 ズバリです。さすが先生です。正確には、90年代の前半と言うところです。先輩からは、「ちょっと前は1バーツが10円だったぞ」と聞かされています。年代は忘れましたが、少しして一時期1バーツが2.5円位にまで上がったことがありましたね。その後、暫くは2.7円くらいの時が長く続き、現在ではちょっと円が安くなって3円ちょっとですか。

>おそらくその14歳もタイ人ではなく、山岳かミャンマーだったんじゃないのかなあ?

 その頃は、言葉も話せませんでしたからよく分かりません。タイ語も挨拶だけですから、タイ人のタイ語なのか、外国人のタイ語なのかは分かりませんでした。ただ、人種的には、色白の瓜実顔とでも言うのでしょうか。日本人と変わらない顔形というか、ヘアスタイルも前髪はおでこで一直線に切り揃え、後ろはそのまま肩まで伸ばしたもので、まるで日本人形のように整った顔立ちの子でした。

>あの頃は北部の子のほとんどがバンコクかハジャイに出ちゃってたはずです。それとも14歳だとまだまだ地元で研修期間だったのかなあ?

 これも後で触れようと思っていることなのですが、少なくとも「17/3(チッカム)」では、バマーや山の子が増え出すのはもうちょっと後のことでした。

  なお、遅ればせながら、リンクの欄に「ヅラヅラ草」を加えさせていただきました。今後ともよろしくお願いします。

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「ホントにチェンマイに行ってから その1」

  結果的には、その後も年に1回から2回はタイへは通っていましたが、当時は帰ってからもすぐに行きたくて仕方ありませんでした。あの「17/3」での出来事が忘れられなかったのですね。
  そして、いろいろと調べてみると、タイってその手の商売が結構あるって言うことも分かってきました。で、早く行きたいのだけれど、結局なんやかんやあって実際に行けたのはほぼ1年後のことでした。

  「17/3」では、その後もコンスタントに若い子を供給してもらいました。たまには浮気をして、「サコドゥアン」「バンノンジャブ」に行ったりしたこともありました。しかし、「サコドゥアン」では次第に品薄になった気がして次第に足が遠のき、「バンノンジャブ」はガセを掴ませられたこともあって足が遠のいているうちに閉店してしまったようです。
  えっ?  ガセって何かって?  それは偽ボリスットです。何回か通って、ほんのちょっと言葉も出来るようになって、ボリスット買いを始めた頃でした。「保証する。正真正銘のボリスット」とのことで連れ帰ったのですが、確かに年は若いし、体も未完成(とは言え、胸も膨らみ、若干の発毛あり)でした。しかし、局部を調べて指を挿入してみると抜いた指に血が付いてきます。しかも、広げてみると、トロトロ血が流れ出て来るじゃないですか。破瓜の血は鮮やかな色なのに対し、生理の血はどす黒い感じなので、一見すればすぐに分かります。結果的には、3回ほど経験した子が生理になっていたのでした。まぁ、性格も良くて大人しく、何でも言うことを聞く子でした(^ ^; ので、帰したり文句を言ったりはせずにそのままいろいろと致しましたけど(^ ^;
  結局、「バンノンジャブ」にはその後一切顔を出さなくなりましたが、今だったら外道の細道で晒されていたことでしょうね(笑)。

  ところで、いよいよ以て本格的にのめり込むきっかけになったのが、確か2回目か3回目に「17/3」に行ったときであったと思います。まだ、事前に連絡などしていませんでしたから、いざ行ってみるとその日は気に入った子がいませんでした。困った顔をしていると、旦那が切り出してきました。
「今日は欲しくないのか?」
「いや、気に入った子がいないんだ。うんと若い子はいないの?」
と尋ねると、ちょっと考えてから
「ちょっと待て。今呼ぶから」
とのことで出てきたのが、12歳という子でした。2~3日前に水揚げされたばかりで、まだ店には出ていないという子でした。

「Opened. One time.」
「じゃあ、僕が2人目?」
「Yes. No Condom OK!」

  でも、見るからに子供で、背は140もないぐらいでした。あまりに痛々しく迷いましたが、既に臨戦態勢になってしまって(^ ^;、OKしてしまいました。あとで配達してくれると言うことで、先に帰って食事をしたりしてホテルの部屋で待つことにしました。
  やがて、約束の時間が近づきますが、あの待つ間のドキドキする感じは何とも言えませんね。廊下の方で音がする度に、のぞき窓見に行ったりして……
  やがて、旦那に連れられてやって来ました。近くで見ると、本当に素朴な子でした。身長を聞いても「測ったことない」かなんか言われました。胸は膨らむ気配すらなく、もちろん発毛も全くなく、そこには1本の筋が走っているだけ。
「こんな体なのに……」

 萌えました。そのまま一直線でした。
 もう抜け出せなくなっちゃいました。

  西日本は雨ですか?  東日本も明日以降天気が崩れそうです。台風の被害が大きくならなければよいのですが……

===今日のコメント===

=フェラあり先生

 いつもありがとうございます。

>タイの貞操観念は非常に強かったです。

 でしょうね。だからこそ、「タイの女性には素人か淫売のどちらかしかいない」式の意見が出てくる訳ですよね。

>ただし金絡み、「タダでは絶対失わない。」

 さすがタイ人(^ ^;
 タイ人の微笑みの後ろには、財布が口開けているって言った人がいました。カネが動くとなれば、満面の笑みで……(^ ^;

>ところが最近では中学生でも近所の学生とヤリまくっているみたいですね。ケップという人のオキニ、ニットちゃん14歳も4月に会った時は処女でしたが、今ではヤリまくっているそうです。

 これは自分も実感しました。昨年ホテルへ来た■学生で、外道にも投稿したファーイちゃんと言う子。一応ボリスットということで来たのですが、実は直前に売っちゃってたと言うとんでもない子です。コトの前にいろいろと聞き出して確認したのですが、一応体験(=お仕事)としては2人目には間違いなさそうでした。1人目はタイ人の客で、2回戦したと言っていました(^ ^;
 悔やんでも仕方ないのでコトをし始めましたが、そのときフェラはしたかと聞くと「してない」とのことなので咥えさせたのですが、やり方を知っているんですねぇ。ちゃんと舌は動かすし、手扱きもするんですよ(^ ^; 「ビデオで見たのか?」と聞くと(結構多いんですよね。興味本位で見たという子とか、仕事をするに当たって見てみたと言う子とか)、ビデオは見たことないと言いまして、「じゃあ、なんでやり方知ってるんだ?」とたたみ掛けると、「学校で友達にやってる」……
 目を点にしつつ、「フェーンかい?」と聞くと、ややあって「うん」との返事が返ってきました。
 休み時間とか、昼食の後にでもやってるんでしょうかねぇ。呆れてしまって、そこまでは聞きませんでしたけれど。

> あと、旅行者にとっては金より時間が貴重です。安かろう悪かろう女と時間を過ごすほど勿体無いことはないと思います。

 それは言えますね。カネより時間。まさに、Time is money でありましょう。

 追伸
 自分がこの道に踏み込んでしまったのは、初めて行った「17/3」(現在のカラオケ・チッカムの前身)で見つけた14歳の子がきっかけでした(^ ^;
 この後に、そのことをまとめてみました。

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「ホントにチェンマイに行った日」

  初めてタイへ足を踏み入れた頃。今思うと、タイに対する知識も殆どなく、ただ日々の雑事に追われていました。拠点はバンコクの郊外でしたが、市内のホテルに宿泊していました。風俗関係は、2~3度、タクシーに頼んでいわゆる置屋に足を運んだことがある程度でした。それでも、たいして風俗に興味があるわけでもなかったので、満足していました。当時は1バーツが6円で、一晩あたり日本円で1万円ほどだったと思います。何でレートまで覚えているかというと、たまたま入ったレコード店で買ったCDが500バーツで、「日本で買うより高いなぁ」って思ったことを覚えているからです。当時のタイでは、CDはシンガだか日本だかでプレスしたものしかないと言うことで、まだまだ貴重品。鍵の掛かったショーケースに入っていたんですよ。テェプカセッなら50バーツぐらいだったと思います。
  あとの夜遊びは、型どおりにタニヤやパッポン。でも、オフはしたことがありませんでした。先輩がいる前でそう言うことをすることには抵抗があったからですが、それほど興味もなかったというのが正直なところです。

  そんなある日、所要でしばらくチェンマイに滞在することになりました。初めて乗るタイの国内線。今ではジャンボも飛んでくるチェンマイですが、当時の飛行機はジェットとはいえもっともっと小さい飛行機。便数も今の半分ぐらいだったでしょうか。それにあの頃のタイ航空国内線は、ほとんどの乗客が外国人。タイ人は半分も乗っていなかったような印象があります。きちんと、国際線並みの機内食が出てきたのも驚きでした。
  数日の滞在が過ぎ、明日はバンコクへ戻るという日の帰りの車の中。早めの夕食を終え、ホテルへ帰るものと思っていると、ずっと世話してくれていた通訳のタイ人がおもむろに言いました。
「もうチェンマイには来ましたか」
  意味が分かりませんでした。怪訝な顔で
「ここチェンマイでしょ?」
と答えると、彼はニヤリとして説明してくれました。
「若い子を抱かないとホントにチェンマイに来たとは言いません」
  今では考えられませんが(笑)、本当にチェンマイ童貞だったのでそう答えると、
「では、ホントのチェンマイに行きましょう」
「若い子は好きですか?」
  思わず、学生時代に経験した中学生とのことを思い出し、頷いていました(^ ^; でも、実際には、18とか19の子だろうなぁって、漠然と思っていました。

  そして連れて行かれたのが、「17/3」でした。ターペーからシャロンムアンを進み、市場の近くを左に折れてガタガタ道をゆっくり進み、「こんな所にあるの?」と訝しがりながら、到着しました。
「?  普通の家?」
  バンコクで行った所は、いずれも繁華街だったり、そうでなくてもカラオケ屋や美容院だったり(^ ^; と、一応店の体裁をなしていたのに対し、ここは看板も何もない普通の民家。普通の家と違うところと言えば、立派なコンクリート製の二階屋(三階?)、そして、屋根には不釣り合いに大きな衛星放送のアンテナがあったこと。脇に車を止めて、中に入ろうとすると出てきたのが眼鏡の旦那。このときは、まさか彼と、その後十何年も付き合うことになろうとは思いもしませんでした(笑)
  通訳の彼と旦那とは顔見知りらしく、肩をたたき合ったりして親しげに雑談しながら店内に進みます。後に続くと、中は暗かったのですが、すぐに電気が点き、中の様子が目に飛び込んできました。
  ガランとした、だだっ広い室内。片隅にベンチというか、ソファというか椅子が置かれているだけで、あとは何もありません。白い壁だけが目についたのを覚えています。2人がその椅子に座ったので、続いて自分も座って店内を見回しますが、今までとの違いに戸惑うばかり。

「女の子が並びます。好きな子を選んでください」
  ひとしきり旦那と話したあと、通訳が言いました。すると、旦那が大きな声で奥に向かって何事か叫び(または、壁に付いたベルを押したのか、今となっては覚えていないのですが)、するとドタドタ階段を下りてくる音が続き……
  出てくるは、出てくるは……  後から後から、女の子が続きます。総勢、十数人出て来て壁に沿ってズラリと並びました。
「え……」
  絶句でした。こんな形での対面は初めてでしたから。今までの店だと、せいぜい数人の中から選ぶとか、クラブ形式のシート配置の薄暗い店内で、ママの声に応じてオフ可の子が値段ごとに立ち上がり、その中から指名するとか。
  しかし、ここでは明るい室内で、しかも人数の桁が違う……  はっきり言って、まともに正視できず、喉はカラカラになってしまいました。
  通訳は、単純に迷っていると思ったのか、旦那に聞きながら女の子の説明をしてくれます。
「あの子は××歳、隣が××歳……」
「あの子は××歳だけど新人で……」
  年齢はほとんど中学生で、今と違って茶髪の子も皆無。だいたいの子が小柄で、中にはほとんどオカッパ髪の子もいたりしたので、ドレスこそ着ていますが、私服や制服でも着ていれば、まるで小学校か中学校の教室に迷い込んでしまったかのようでした。
  そんな中に、背も140センチそこそこくらい、髪は肩くらいの黒髪でまるで人形のように整った顔立ちの子がいました。顔をよく見ようとその子を見つめていると、その子が気に入ったと思ったのか、通訳が旦那にその子のことを聞いてくれたようです。
「その子は14歳、チェンライから来たばかりの子。美人ね」
「この子が好きですか」
  なんか、よく分からないうちに頷いていました。
  旦那が何事か叫ぶと、女の子たちはぞろぞろと出てきたドアに向かって引き上げていきました。

  車に乗って待っていると、程なく先ほど選んだ子が私服に着替えて出てきました。隣に座った彼女を見ると、本当に人形のように整った横顔です。おでこで一直線に切りそろえた前髪がまるで日本人形のように可憐な印象です。こんな可愛い子にもアレが付いているんだ……、などと考えると、それだけで臨戦態勢になってしまいました。
 
覚えたてのタイ語で、
「サワディークラップ」
と言うと、初めてちょっと微笑んで
「サワディーカー」
と応じました。しかし、その声を聞いてびっくり。甲高い、まんま子供の声でした。
「美人です。今夜は寂しくないですね」
 通訳は、ニヤリとして言いました。

  ホテルに帰り、部屋の中で改めてその子をよく見ますが、小柄な細身の体で胸も殆どありません。しかし、顔は恐ろしいほどに整っています。ただ、悲しいかな、言葉が通じません。今なら、ここでギャグの1つもかまして笑いを取るところですが、まだ挨拶と名前ぐらいしか言えない上に、ホントに子供のような彼女を前に緊張しきってしまい、ろくにコミュニケーションも取れないうちに、でもムラムラしてきてそのままベッドに押し倒してしまいました……

  これが、私がこの道に嵌ってしまったきっかけでした。
  以後、一旦タイを引き揚げることになってからも、年に1回から2回、用務にかこつけてはチェンマイに通い、眼鏡の旦那との親交を深めていくことになるのでした。

  朝晩吹く風は、急に涼しくなりました。昨日、今日あたりは、朝なんか18度しかありませんでした。皆さんの所ではいかがですか?

===今日のコメント===

=京大淫性さん

  いつもありがとうございます。

>きっと今、オキニは電話で俺の悪口言ってるんだろうなぁ。別れ際に「電話で俺の悪口言ってたろ?実は俺タイ語が分かるんだ!!」ってタイ語で言えたらかっこいいなぁ。
>って良く思います。

  でも、オキニだったら、どれぐらいのタイ語力を持っているかは、とうにバレているのではありませんか?(笑)

>え、だったらそんなオキニと付き合うなって!?

  まぁ、他人には何で?って思われるような女の子をオキニにしている人もいますからねぇ。顔でも、性格でも、行動でも、アレの相性でも……、オキニになる(する)からには、他にはない魅力が何かあるわけですから、オキニにしている理由なんて、第三者はおろか、当の本人にも分からないことなのかもしれませんね。
  どんな性悪女であっても、どこかにホッとさせられる(または、おぉっと言わされる)ところがあれば、オキニになる(する)可能性は否定できないでしょう。

>>でも、京淫さんの場合は、お友達だったんですよね(^ ^; 取れる限りの上限を取りたいと言うことだったのでしょうか(^ ^;
>そうなんですよ。これまで築いた信頼関係は何だったんでしょうか・・・

  タイ(人)ですから。
  タイにおける全ての不可解は、この一言でマイペンライとなりましょう。

>>でも、最終的には2万だったんですよね(^ ^;
>はい、なんとか。
>相場というものを多少は知っておいて良かったです。

  しかし、タイ人というのは処女性をもっと大切に思う国民だと思っていました。人によっては、「タイの女性は素人か淫売かのどちらかだ」などと言う人もいますが、その境界線がどんどん曖昧になってきているように思います。昔は、例えばボリスットを売るなどと言うのは、にっちもさっちもいかないから売ってしまう、今後は春を鬻いで生きていく、くらいの決断であったように思います。まぁ、そのにっちもさっちもいかないの度合いが、問題でして、実はモタサイや実家のティゥィーのためだったりする場合も、数多かったとは思いますが。
  それが、今では当座の資金繰りのために売ってしまう。1回売ったら、しばらく普通の生活に戻る……  こんなパターンが増えているように思います。今回、自分がチェンマイで会った女の子は全員がそうでした。いわゆるショップ、ハウスに所属している子は皆無だったんですね。これがいいのか悪いのかは微妙ですが。
  これは後ほど書こうと思っていることでもあるのですが、以前は、チッカムと少なからず関係のある農園で働いている子、またはその娘が、1回だけ売りに来る(だいたいはボリスットを、です)、または特別なリクエスト(経験の少ない子)に応えてチェンマイに出てくるという例も少なからずはありました。

  また、高校生あたりが簡単に寝てしまうと言うのも、ちょっと問題かなって思っています。そう言う子を調達してもらっている自分が、偉そうに言えた義理ではありませんが。

  今回、唯一高校生だったボーちゃんとのやりとりで、

「友達でもこういう仕事してる子いるの?」
「うん、何人かいる」

と言うのがありました。格別珍しいことではないようなのです。恐るべし、ナ■ンピ■高校(^ ^;
  それ以後、チェンマイで見かける女子高生を見る目が変わってしまったのは言うまでもありません(^ ^;

  また、今回チェンマイで、「14歳を中心とする中学生男女が、ナイトバザール周辺で観光客相手に売春して捕まる」というニュースを聞きました。主に男子生徒が客を物色し、ターペー門周辺の安ホテルで女子生徒が売春した、というものです。値段が500バーツから1000バーツであったという話と合わせ、セーラー服姿の女子中学生を見る目も変わってしまいました(^ ^;
  街で良く見かける、女子生徒を満載したソンテオ。今までは、「おーい、ボリスット満載!」って思っていましたが、今では「あの中の何人が1000バーツかなぁ」なんて、不謹慎な見方をしてしまう自分は、やはり外道の端くれなのでしょうか?

 

=フェラあり先生

  いつもありがとうございます。

> 淫売買いとは野球です。野球とは投手です。投手は先発完投です。部屋に連れこんで1回の表が始まり、そこからあらゆる駆け引き、手抜き、ここ一発のストレート、そいて急場を凌ぎ、九回表の朝を迎えるのです。速球一本のリリーフは邪道です。

  駆け引きの勝負なのですね。

> でも僕なんか先発完投して帰宅するつもりが、5年間も投げっぱなし、トホホホホ。 

  それでもやはり、リリーフにお邪魔しましょうか?(^ ^;

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「遊びの種類」
  さて、バンコクでMPに通い始めて、思ったことがあります。実は今まで、正直心の中ではMPってバカにしているところがありました。それは、やはり、自室でコトの後に抱き合って眠ることが一番だと思っていたからです。
  しかし、MPに行ってみて、まぁお殿様待遇というのでしょうか、こちらの主導ではない受け身の快楽というものを覚えてしまいました。全て女性がやってくれる、ただ言われるままにソファとバスタブとベッドとを行き来すれば、そこにめくるめく快楽の世界が待っているんですね、MPでは。今回は、チェンマイでパンドラ、バンコクでコージーとエマに行きましたが、どこも女の子は当たりでした。女性上位で果てた後、マッサージしてもらってうつらうつらする快楽は、なかなか捨てがたいものがあります。

  つまり、置屋でワイルンのボリスットを水揚げすることとMPに行くこととは、全く別の遊び、いろいろな遊びの一つだったんですね。今はやりの言葉ではありますが、「癒し」の目的で女の子主導のMPに行く……、それがMPなのかなって思います。

  しかも、ありがたいことに、我々にとってMPの2000バーツ前後の金というのは、はっきり言ってどうにでもなる金額です。まして、バンコクに暮らしているのではなく、仕事や観光で訪れた場合はなおさらです。観光や仕事の5日や1週間程度なら、毎日通ってもたかが知れています。暮らしているにしても、毎日でなければ、週に1回とかなら無理なく通えるでしょう。

  そして、この別の種類の遊びについて、いろいろと語りたいというのが、紘さん目指すところの、このブログの目的でもあります。

  しかしなぁ、新しい遊び覚えちゃって、こりゃあ、やっぱりいくら金があっても足りんぞ……(^ ^;)

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