戻りました。なぁーんもなく、1回の発射もなく(苦笑)、ボリスットで帰ってきました。
今日は、コメントだけとさせていただきます。
===今日のコメント===
=コンさん
毎度です。真面目なコメントありがとうございました。
タンボン(町村)にはオボトーという町議会がありまして、何年かに一回町議選があります。このタンボンで一定人口以上を抱えた町(大体がアンパー(郡)の中心地)がテサバーンを名乗り、シティーと自称しているようです。
テーサバーンナコーンとかスカピバーンって聞いたことありますが、仕組みはよく分かっていないです。
タンボンより多くの予算と自治権を与えられているようです。日本人の感覚だと郡と市は同列なので、町で正解だと思います。アンパーとテサバーンの行政区分が外国人の小生には良く理解できていません。
行政区分も理解できないし、省庁の名前もよく理解できていないです。日本人にとっては、自治省(今は総務省か(^ ^; )、農水省など違和感はありませんが、そもそも外国人にはそれこそ理解できない組織かもしれないですね。
ただ理解できるのは立派な町役場がそこらじゅうにできていることです。日本と一緒の箱物政治ということでしょうか?
地方へのばらまき行政で、一気に地方の役場が新しくなったと言うことなのでしょうか。クーデター直後は改革派万歳の感じでしたが、今回の短い滞在でも、ここに来てちょっとタクシン擁護の動きも出ているような感じがしました。
=フェラあり先生
いつもありがとうございます。
そういえばチェンライにも城壁の一部が残ってますね。チェンマイはあの城壁のおかげで迷うことは絶対ありません。
城壁自体は、チェンマイの方が多く残っていますね。ただ、今年の雨でチャンプアク(白象)門周辺が崩れたと聞いています。
後、旧市街は一方通行が多いので、車の場合だと、すぐそこへ行きたくても大回りしなければならないことの多いのが玉に瑕です。
気をつけていってらしゃって下さい。新ネタ期待しております。
こんなに清い包帯は記憶にないぐらいです(^ ^;
本当に何にもなく帰ってきました。
=コンさん
そういえばアンパーには議会がありません。従ってアンパーは行政、司法のみです。
日本の郡には、議会どころか、何もないですね。所により、広域行政組合みたいなものを作って消防とか屎尿、ゴミ処理等を行っているようですけれど。
=フェチやまさん「チェンライ・ビーチ」
毎度です。
初めてチェンライに行った時、トクトクの運ちゃんのチェンさんに「チェンライ・ビーチ」に行こうと誘われて行ったことがあります。あれー!?チェンライって山奥だと思ったのに、海ってあったっけ?などと間抜けなことを考えていました。
コレって、似たのがチェンマイにもありますね。ビーチって言っても、単なる川沿い(湖?)の一画にいくつかのサーラーがあって、ちょっとノンビリできる所です。通称パタヤノイと言っていたように思います。小エビの踊りが旨かったですよ。チッカムのソムチャイ達と1日行ったことがあります。
海なしチャンワットの人たちが、海に憧れて名付けたのだと思います。そう言えば、ろくに泳がない(泳げない)くせに、タイ人は海が好きですからねぇ。
もちろん川でした。チェンライの西は考えてみればミャンマーですね。
海どころか、山また山のバマー、ですね。
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今日は、真面目に「タイ地名考」です(^ ^;
===今日のコメント===
=コンさん
いやぁ、写真大きくなるんですねぇ(^ ^; 知りませんでした。最初に古い名刺をアップしたときに、クリックできなくて大きくならなかったものですから、ここの写真は大きくならないんだと思っていたんです。今でも、名刺は大きくならないんですが、他の写真は大きくなりますねぇ。いったい何が違うんだか、まだよく分からないです(^ ^;
なお、早速処理の上再アップさせていただき、コンさんから戴いたコメントは非表示とさせていただきました(削除はしてないですよ)。
ありがとうございました。今後とも、よろしくご指導のほどお願い申し上げます。
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「地名」
そう言えば、最近、プーケット・タウンの呼び方を、プーケット・シティって変えたんですって? そんなことは実はどちらでも良いのですが、ヨソ者から言わせてもらえば、「実際にはシティでも、盛り場とか街という意味で、タウンと使うのありじゃない?」って思います。
でもこれって、タイ語で言う「ナコーン」と同じような拘りでもあるのでしょうか? (お詳しい方もいらっしゃいますが、あえて簡単に解説させていただくと)ナコーンとはもともと「町」を意味する単語で、いくつかの地名では、あたかも固有名詞のようにも使われています。例えば、「ナコーン・パトム」「ナコーン・パノム」「サコン・ナコーン」「ナコーン・サワン」「ナコーン・ラチャシマー」「ナコーン・シ・タンマラート」……のごとくです。
あと、日本語としてはあまりそうは言われませんが、アユッタヤーも県名としては「チャンワット・プラ・ナコーン・シ・アユッタヤー」とプラやシまで付いています(チャンワットは県の意)し、北部はチェンマイから車で1時間少々のランパンも「ナコーン・ランパン」が駅名となっています。歴史ある街=ナコーンと言う自負を込めてそう呼ぶと聞いたことがあります。
また、タイの地名に良く付いている「タニー」や「ブリー」も、由緒ある呼び名だそうです。「パトゥムタニー」「ノンタブリー」「ウドンタニー」「ウボンラチャタニー」「スラタニー」、「サラブリー」「シンブリー」「スパンブリー」「ロプブリー」「ラチャブリー」「カンチャナブリー」「ペッ(チャ)ブリー(県名にもありますが、バンコクにもありますねw)」「チョンブリー」「チャンタブリー」そして「プラチンブリー」(^ ^)V (もうないかな?)
そう言えば、タイの道路の名前って県名(地方の地名)が多いですね。王宮の方を走るタノン・ナコーンラチャシマーは、タノン・スコータイやタノン・ピサヌロークと交差したりしています。また、プーケット・タウン(笑)にはタノン・バンコクやタノン・ラノーン、タノン・クラビーがあったりしますし、タウンのホーナリカーがあるのはタノン・プーケットだったりします(^。^)
ところで、フェラあり先生にゆかりのチェンライ、そして、このブログのチェンマイ。由来はご存じでしょうか? チェンは街を意味します。恐らく、語源は中国語の「城=チェン=」でしょう。日本語ではキャッスルを意味しますが、中国語でのもともとの意味は「タウン」。城壁で囲まれた中に街が作られたところから来ているのでしょう。「ライ」はチェンライゆかりの王メンライから、「マイ」はタイ語の「新しい」です。すなわち、チェンライとは「ライ王の街」、チェンマイとは「新しい街」を意味します。もっとも、新しいとは言え、現在では遷都700年を迎えた歴史ある街となっていますが。「ノッパブリ・シ・ナコーンピン・チェンマイ」がもともとの名前であったようです。
最後にお出ましは「クルンテープ」。言わずと知れたバンコク(行き始めた頃は、“バンコック”と言う発音にノスタルジー感じたりしていましたけど(笑))のタイ語名であり、正式名称がメチャメチャ長いのはご存じのことと思います。日常では「クルンテープ」か、せいぜい「クルンテープマハナコーン」止まりですが。時々「全部言えるよ」という奇特な外人もいますが、実際に言わせてみると妙な節回しでしか言えなかったりします(笑)。それもそのはず、実はアッサニー・ワッサンという歌手グループがクルンテープの正式名称を歌詞にした歌にしていて(結構ヒットしたようです)、その旋律で歌わなければ言えなかったりするんですね(^ ^;
では、行ってきます(^_^)/~~
たぶん、帰ってくるまで更新はありませんm(__)m
台風来ていますね。私事ですが、5日の飛行機は遅れないでしょうか(^ ^; ちなみに、夜のJALです。午後まで仕事をして、その後待ち合わせをして乗り込む予定です。
で、すみません。記事は間に合いませんので、コメントだけとさせていただきます。
===今日のコメント===
=フェラあり先生
いつもありがとうございます。
> お客さん、チェンマイじゃそれはやってないんですぜ。
失礼しました、僕の頭の中には1994までののチェンマイしか頭にないもんで。
昔はそうだったんですか?
でも、その頃なら、私は既にチェンマイで遊び始めていましたね……(^ ^;
ところで良太さんはチェンマイで昼間は何をなさっているのですか?
いろいろですね。昼のお友達(もちろん、夜のお友達は“旦那”ですが(^ ^; )と遊んだり、チョコチョコッと仕事のまねごとみたいなことしてみたり。
時々、観光と称してドイステープあたりへ行ってみたりもします。そうそう、ワットスアンドークは必ず行きます。お堂に座り込んで、ボーッと風に吹かれています。ちゃんとタンブンはしてきますよ。
後は、昼間から女の子とイチャイチャと言うのも、たまにですがありました(^ ^; だって、旦那が「いい子だから」って言うんだもん。そう言う子は、2回目、3回目の子とか、とっておきの(セミ)プロの子というパターンですけどね。
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何とか目途が付いたかなぁ。なんか、まだまだのような気もします。忘れていることがあるような、ないような……
===今日のコメント===
=フェラあり先生
いつもありがとうございます。
この娘、いーじゃないですか。
でしょう。自分はどちらかというと、美人タイプよりも,可愛いタイプの方が好みなのですが、この子は「キレーだ」って思いました。勿論、タイ語ではなく日本語の方です。それなら「キレイ」と書け(。_゚☆\ ベキバキ
何で3時間半で帰しちゃったのですか?勿体無い、この状況で2万だったら3日、4日は当たり前なのではないでしょうか?
お客さん、チェンマイじゃそれはやってないんですぜ。それがしたきゃ、カンボへ行っとくれ、カンボへ。
あと、やはり地元の子ですから、他人の目ということで、初めからのお約束なのです。
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「カラオケ・チッカム」
これは、既に「外道の細道」にアップした内容でもあるのですが、改めてお送りします。
いつものように、旦那に「行くよ」の電話をしました。2005年夏のことでした。いつものように他愛のない話をし、電話を切りました。いつもと違っていることと言えば、電話のバックにカラオケビデオ風の音楽が流れていたことでした。でも、その時は、たまたま旦那がどこかに出掛けていたのだと思っていました。
夕刻、予定通りチェンマイ空港に到着し、そのままホテルのミニバンでホテルへ入りチェックイン。荷をほどくのももどかしく、そのまま外へ出てトゥクトゥクを拾いました。行き先は当然「VHIANG THONG HOUSE」。見慣れた通りを走り、トゥクトゥクはマヒドン通りを左折します。見慣れたコンクリートの門をくぐれば、すぐそこです。
しかし、様子が変。いつもなら開いているシャッターが閉まっています。店の外にはモタサイが2台止めてあるだけ。
「今日来ることは知ってるはずなのに……」
慌てて旦那の携帯に電話します。いつもの耳慣れた呼び出し音の後、聞き慣れた声が聞こえてきました。事情を話し、新しい店の場所を伝えて貰うべく、電話をドライバーに渡します。
ドライバーは、笑いながら
「大丈夫、近い、近い」
と言ってトゥクトゥクに乗り込み、私も乗るように促します。
そのままビレッジの中を進み、くねくね曲がって、今から思うとチェンマイランドに出て、ほんの数分で新しい店に着きました。
入り口には旦那が出ていて、久しぶりの再会です。
この時は、4人のボリスットを戴きました。その話は、また後ほど。
上期の〆と出張の準備が重なり、土曜に出勤する(した)ことは、前回書きました。何とか目途の付いたところで安心し、飲んでしまいました。意外と盛り上がり、そのまま沈没してしまいました。そんな訳で、昨日は更新をサボりました。楽しみにしていてくださる読者の方(が、もしいらしたとしたら)、申し訳ありませんでした。
なお、出張は5日から9日までの予定です。パトロン、いえいえ上得意のお客様をお連れして、プラチンブリに缶詰になってきます。
===今日のコメント===
=コンさん「言語」
毎度です。
どこかの本でタイ語の日本語の言葉の成り立ちが違うため、単語の作り方が違うと読んだ覚えがあります。
それは言えるでしょうね。また、日本語の場合表意文字である漢字が中心ですから、新語を作りやすい状況にあるといえると思います。それに対して、タイ語は表音文字を使いますから(まぁ、日本語と中国語以外はそうだと思いますが)、不利といえば不利だとは思います。英語だって長いもんねぇ。しかも、読まないと分からないし。漢字は見ただけで分かりますからね。
しかしながら私見では日本の明治期に知識層が外国語(英語)を盛んに母国語に訳して取り入れた形跡がタイには見られません。
そうですね。日本の場合、当時の漢学者や哲学者達の業績が大きいと思います。経済とか労働とか、逆に中国へ輸出された言葉も多いと聞きます。
先日タイ人向けのセミナーへウチのコテコテローカル幹部を参加させたら技術用語が英語ばかりでチンプンカンプンだったことがあります。
某国の新首相がカタカナ用語を乱用しているのと同じですね。
国のトップが国語をそういう風に使っているようでは、その国に未来はないと思います。ただ、一つだけ擁護するならば、新語が多すぎて追いつかない、と言うのもあるかと思います。しかしねぇ、今回の演説はそうとも言い切れないし……
=フェラあり先生「インドいいです」
いつもありがとうございます。
インドはいいです。確かに色は黒いのですが、ほりが深いためか少女でも大人顔しているんですよね、このギャップがなんともいえない。
そうです。彫りが深いんです。大人顔に見えます。目が大きくて、澄んでいて、とてもヴァギナやアナルがあるようには見えません。だから、本当に付いているのか確かめたくて、指を入れてしまうんです(爆)
裏ビデでもインド物は積極的に集めましたが、パイパン率も高いですね。
そんなのあるんですか。手に入るんですか。うーん、見てみたい(^ ^;
しかも、パイパンですか…… そのパイパンにズッポリですか? なんか、想像しただけで壊れそうです(笑)
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「チェンマイの大学生 タンちゃん」
「外道の細道」に投稿がアップされましたので、こちらで詳細をお知らせします。
名前はタンちゃん、旦那に紹介してもらったボリスットの子です。ハンドンに行く途中に住んでいると言っていました。年は18歳、身長155cm。自分はあまり大きい子は得意ではないのですが、これならOKです(笑)
現在、チェンマイのパニット大学で観光学を勉強中だそうです。将来は、ホテルに勤めたいなんて言っていましたが、数年してチェンマイのホテルでチェックインしようとしたら、レセプションにいたりしたら恥ずかしいなぁ(^ ^; そんなことを考えて、ちょっとドッキリしました。
ご覧のように、なかなかの美人タイプです(アップのものは、軽くぼかしを入れました)。胸はまだ小さく発育途中という感じで、乳首もまるで少年のようでした。18歳ですから発毛はありましたがとても薄く、まだまだこれからという感じでした。
挿入しようとするとコンドームを要求されましたが、「お腹に出すからね」と言うと、OKになりました。そのまま挿入しましたが、とても痛がり泣かれてしまいました。しかし、残念ながら出血は認められませんでした。お約束どおり、お腹に出して1回戦を終了しました。
嫌がりましたが、強引に2人でシャワーを浴び、あちこち洗いっこしました。
その後、ベッドの上でいちゃいちゃした後、フェラしてもらいました。「ない」という答えを期待しつつ(笑)、「したことある?」と聞くと、「ない」とのことなので、いろいろと教えながらしてもらいました。
挿入すると、また目に涙をためています。また、ピストンすると突く度に顔をしかめます。その表情が可憐で思わず暴発してしまい、慌てて引き抜きましたが、間に合わず殆ど中に出してしまいました。努めて平静を装い、こっそり後始末してしまいましたが。
話を聞いてみると、とにかく金がなく、「質入れ」されたような形で今回の仕事となったのだそうでした。
3時間弱のショートタイムで、深夜に帰って行きました。
今回のお代は2万バーツ。ティップは、最初に 500バーツ、帰るときに 500バーツ、トゥクトゥク代として 200バーツ。
なかなか美人だったし、性格も従順で大人しい子でした。なかなか良い子だったと思います。評価4。
スワナプーム、「昨日は大したアクシデントもなく」って書いたのですが、ドクターのブログを拝見すると、色々とあったみたいですね。それも、想定外のほとんど(雨漏りとPCダウンは、当然のことながら想定内です(笑))がバゲージ絡み……
到着したはいいけど、荷物が5時間出てこない? コンカオリーでなくても、暴動起こしそうですねぇ。でも会社がOX(オリエントタイ)と聞いて、「やっぱ、想定内かぁ?」って思ったり……
〆と出張の準備で、明日も出勤です(>_<)
===今日のコメント===
=コンさん
毎度です。
タイ社会下層にいる人達は従順というより、思考を停止している人達が沢山います。
頭使う環境にないですからねぇ(^ ^;
ボクのところにもしょもない問題で「どーしたら良いのでしょうか?」と相談に来ます。そんな簡単なこと位は自分で考えんかい!と思うのですが、良い考えが浮かばないとそこで思考停止します。
それとですね、自分で考えなければ(上司に指示受ければ)、もしもの時自分で責任追わずに済みますからねぇ(^ ^;
何でかな~?
だって、タイ(人)ですから……
でも、決まり切ったことを繰り返せばいい場合(例えば、串に焼き鳥用の鶏肉を刺す、小魚の頭を落として開き、ワタと骨を取る、とか)、最初に徹底的に叩き込むと、それは忠実に繰り返します。しかし、最初が肝心です。最初に甘い顔してちょっと雑でもOK出すと、それなりの仕事しかしないようになります。最初はハードルをうんと高くして、実際の作業に入ったらそのハードルを気持ち落とすようにしておくと、それなりに維持できます。
って、やっぱりこれは、頭使ってないか(^ ^;
ただ、この場合でも、男はあまり使えませんね。女性なら、使い物になります。
全く関係ない話ですが、ある先輩が言っていました、「やっぱ、タイはバカだわ」って。外国人にとっては逆にありがたいのですが、タイ語って新しい単語を作りませんね。日本語なら「水」=「氷」、英語でも「water」=「ice」と別の単語を作りますが、タイ語では「水」=「水+固い」式ですね。その先輩がのけぞったのは「便箋」でした。タイ語では「紙+書く+手紙(クラダーッキエンヂョットマァイ)」です。「こんな基本的な単語がこんなに長くちゃやってらんない」と嘆いていました。
自分は「それがタイなんだから」って、割と肯定的に見てしまうのですが、許せない人にとっては、それが許せないみたいですね。
自分でも、(理解は出来ないのですが、割と固い文章、特に政治や経済等に関する)ダラダラ長いタイ語の単語には、お手上げですけれど。
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「コンバマー」
そう言えば、以前来た子の中で、バマーなのだけれどインディアの子がいました。年はモー2かモー3ぐらい。ちょっと色黒ではありますが、例のアーリア系?美人の血は充分に引いているように見えました。目がとても綺麗で髪はほどよいウェーブの天パー、体つきはややポッチャリながら、処女太りの範疇か、という感じ。やや乳うんの大きめなのと、発毛がそこそこあったのがちょっとマイナス(^ ^;
それでも、発毛は恥丘の部分だけで陰唇の周りにはなし。少々浅黒い肌ながら、アソコを開くと中は綺麗なピンク色。思わずむしゃぶりついてしまいました。舐めたり弄ったりしていると、「攣るんじゃないか?」というぐらい足がピンとなっていました。
結構痛がっていましたが、中は結構具合が良くて、何度となく挑んでしまいました。フェラは最後まで拒否、アナルは指入れまで、と言う子でしたが、朝立ちの1発まで、嫌がることなく応じてくれました。
自分の好みとしては、やはり色白のヌア系が最高なのですが、時にはこの手の子も捨てがたいな、と思いました。
肌は浅黒いけれど、結構スベスベの気持ちよい肌の子でした。
新空港、無事に開港したようですね、若干の雨漏りとコンピューターダウンによるチェックインのトラブルを除いて(^ ^;
ところで、10月の上旬に4泊ほどでタイへ出張してきます。ただ、お客さん付きの上、空港からプラチンブリ直行(新空港からだと、バンコク通らないで行けちゃうんですね)で缶詰になる予定なので、勿論チェンマイにも、恐らくバンコクにも出られそうにありません。ですから、新しい情報は仕入れられそうにありません。唯一、新空港に行けることぐらいでしょうか。ちょっと残念ですけど。
デェーンちゃあーん……
MPよぉー……
(>_<)
昨日は、どうにもやり繰りがつかず休載しました。上期の〆の真っ最中の上、上記のような理由です。そんな訳で、今日はコメントだけです。
===今日のコメント===
=コンさん
いらっしゃいませ。
タイ国内で相手にされないタイ人男性が雲南のタイヤイ族の村に行くとモテモテらしいですね。
やはり、山間の観光地。旅行に行くと言うことは、それなりの札束を背負って行く訳ですからねぇ(^ ^;
しかも、ルーツを同じくする民族であれば……
それはボクがタイに来るとモテモテと一緒の意味ですね…。
ルーツ一緒なんじゃないですか?(笑)
しかし、あのナァナァパァサァでのモテモテ具合。中にはネギなし鴨の方もいらっしゃるようですが(笑)、やはり背中のネギのなせる技なのでしょうか。
=フェラあり先生「古き良きタイでしたね」
いつもありがとうございます。
この子たちはどういう気持ちでホテルへ来ていたんでしょうねえ。おそらくボスに、「とにかく我慢して、言われた通りにしなさい。」とか言われていたのでしょうねえ。
バマーの子、山の子、タイの子で、若干違いはあったでしょうね。言葉の問題もあるでしょうし。
それでも、ソムチャイは割と優しい口調のことが多いですが、旦那の時は時にものすごく強い口調のこともありました。
「なんたらかんたら、チャイマイ!」
「カァ」
「なんたらかんたら、チャイマイ、ナ!」
「……」
「ナ!」
「……カァ」
えらい早口で、とても理解できませんでしたが、女の子が困ったように最後に「カァ」と消え入るように言ったときなど、ちょっとかわいそうに思えたこともありましたっけ。
それでも、「この人は私の友達で、心の良い人だから」と優しく付け加えたときには、笑顔で「カァ」が出て安心しました。その後で、「何言われてもカァカァって、言うこときくんだぞ」と続けたときの「カァ」は、ちょっと引きつっていましたけれど(^ ^;
時には「年、幾つだっけ?」の旦那の問いに、「スィップスィーピーカァ」と答えようものなら、笑いながら「スィップベェッドって言わなきゃダメじゃないか」等と言っているときもありました。
また、茶髪にしている子のときなど、その髪を弄りながら「何でこんなにしてるんだ」とその子に叱るように言い、こっちに向かって「全くしょうがない」と肩をすくめたりすることもありました。
カミさんは、「この頃はまだ体のパーツの完成していない女は安かった。」と言っていたのですが、値段的にはどうでした?
時代もあるでしょうが、最安は12000バーツがいたと思います。普通は15000バーツで、「この子は特別だから」と18000バーツのこともありました。ホントに色白で美人の子のときでしたけど(^ ^;
ですから、一番多かったのは15000バーツですね。でも、これは「お友達価格」だからで、2万から3万が普通だって言われたことがあります。
最近では、最初の頃の京淫さんへのレスでも書きましたが、2万が普通になっています。
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雨ですねぇ。何か台風みたいな雨になっています。皆さんの所ではいかがですか?
===今日のコメント===
=イサーン・ハントさん「ミッション・インポ渋る」
毎度です。
私HNがイサーンハントなので、ラオスやカンボ大好き男に思われるかもしれませんが、ホームはBKKで、偶にパタヤぐらいです。ごくごく普通の「男性一名様~」の観光客です。
一瞬、胃酸半斗(太田胃散、飲みなさぁい)とか、遺産半島(インドチャイナ? バルカン?)なんて言うのを想像していました(笑)。パタヤは10年以上前に1度行ったきりですね。お船の形のA-ONEに泊まって、A-GO-GOのお姉さんをお呼びしました(^ ^;
タイ人と遊びに行くときは、途中のバーンセンに行きますね。
確かに仲良くなるのはノリの良いイサンが多いかもしれませんが、特定人種専門と言うわけではありません。
コンイサァンがノリの良いのは事実かもしれないですね。自分はヌア系が多いのですが、ヌア系にはおとなしめが多いです。それに対して、イサァン系は何かあるとすぐにラムし始めちゃいますからねぇ。しかし、それに拘らず、手広くNGOと言う訳ですな(^ ^;
HNの由来は、映画「ミッション・インポッシブル」シリーズのトムクルーズの役がイーサン・ハントって言うんですけど、その役名に引っかけてイサーンギャルをナンパする様なニュアンスの名前を洒落で付けました。
高尚な由来なのに、「インポ渋る」とは趣深いですねぇ(笑)。スクムウィットにある高級デパートのエンポリウム(ド・モーが親会社なんですって?)。日本人は、これを「エンポリ」と略すことが多いのですが、中には「エンポ」と略す人がいて、ドッキリさせられます。タイトルを見たとき、思わず「エンポ」の雄姿を思い浮かべてしまったのは私です(^ ^;
クメール狩りを標榜する様なHNにも思えますが、私はポルポト崇拝者ではありません。ピースフルでラブリーでハートフルな「男性一名様~」観光客です。
クメと言えば、アプサラ。萌えますね。あ、これは変な意味でなく、純粋にですから誤解しないでくださいね。(えっ? そりゃ無理だよって?(^ ^; )また、映画なら「キリングフィールド」。タイで撮影されたと言うだけで、興味があります。
隣国でありながら半歩ぐらい足を踏み込んだだけで、結局カメーンには行っていません。真面目に、シェムリには行ってみたいです。
淫売には「ネギ無しカモ」と呼ばれています。
これもまた、「いとをかし」。しかし、東京のネギは白くて気持ち悪いです(^ ^;
またのお越しを。
=フェラありせんせい「雲南にタイ語は通じる?」
いつもありがとうございます。
先生の所での「きょうの出来事」ブログ再放送、ありがとうございました。
雲南にはタイ族という民族もいて、この人たちも言葉はヌア方言に非常に近いらしく、なんとか北部タイ訛りでしゃべると通じるそうです。
スィプソーンパンナァ(西双版納)ですね。シーサンパンナと通称されますが、語源はタイ語で、パン(1000)に分けたナァ(田)のまとまりが12あったところから付いたようです。この1000でひとまとまりの田んぼが、昔の徴税の単位であったようです。
最近では、バンコク航空が中心地のジンホン(景洪)まで、バンコクからチェンマイ経由で定期便を飛ばしています。チェンマイからは60分少々です。正式名は西双版納イ泰族自治州で、通常我々が目にする「泰」に「にんべん」を付けた文字を使います。100万人弱の人口のうち、1/3を州名にもなっているタイ族(プラテートタイのタイ人が言うルー族)が占め、1/3が漢族、1/3がその他の、ハニ、ヤオ、ラフ等の少数民族が構成しています。なんだ、チェンマイやチェンライと一緒じゃん(^ ^;
現在のタイに住むタイ族も、もともとは中国南部から南下してきた民族です。当然、言葉や風習、食文化などには共通項が多く見られ、有名なものには4月の「水掛け祭り」(ソンクラァンですよ)があります。
うーん、観光案内のようになってしまったぞ。ただ、言葉はそれほど簡単ではなさそうです。現在のタイ語(例えチェンマイ方言であったとしても)とイ泰族語との意思疎通はちょっと難しいそうです。もし比較的簡単に通じるとしたら、それはユアン語の方かもしれません。
チェンライ、ノンブア小学校から淫売に行ったのは1993年が最後だったと記憶しております。
もしかしたら、お世話になった子がいたかもしれないですねぇ(^ ^;
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「チッカム その2」
そんなボリスット売りのタイの子達とバマーの子達の違い。それは、スモーク(オム)です。基本的に、当時のタイ人は拒否する子がほとんどでした(最近は違います。これはまたのちほど)。
しかし、バマーの子達は、大半の子が言われるままに口に含みました。いろいろと苦労して、舌遣いや手扱きなどを教えると、結構器用にこなす子が多くいました。何人かは頑なに嫌がる子もいましたが、それはどこでも同じことでしょう。基本的に、バマーの子達は従順だな、という印象です。こちらの要求は受け入れてくれる子が大半でした。
今だから言えますが、自分が初めてアナルをやったのは、モー3ぐらいのバマーの子でした。とても従順な子で、ディープキスも嫌がらない、オムもする、出されたら飲む(^ ^;、アナルに指を入れても嫌がらない…… 結局、ローション塗って挿入してしまいました。そして、それ以後、私の荷物に、(名前、なんて言うんでしょうか、忘れました)ゴムのポンプが追加されました(^ ^;
自分の場合は、たいてい事前に本人の了承を得ます(または、拒否されたら1回強くお願いしてみて=含む、カネの力(^ ^;=、それでもダメなら諦める)が、バマーの子にはいろいろとさせてもらいました。オムから口内射精(これの場合、オムの了解は取れても、口内射精の了解は取らないまま……というのが多いです(^ ^;)、剃毛、アナル責め、浣腸、アナル挿入~射精…… 時々、あることだけ頑なに拒否する場合がありますが、これは仕方ありませんね。それでも、こちらの様々な要求を受け入れてくれた子には、それに対する見返りも当然ある訳でして。帰るときには、通常よりも多いティップが渡されるのは言うまでもありません。雲南の子にも、見習ってほしいですね(^ ^;
その頃、彼女らバマーに混じって、私の元にやってきたタイの子達は、2種類に分けられました。
その1は純粋にチッカムに入った子。
その2は農園から来た子。
その1は問題ないですね。良くあるパターンです。その2の農園って何でしょうか。以前にも、チラッと書いたことがありましたが、農園で働いている子、または働いている人の娘です。チッカムとつながりのある農園なのでしょうか、チェンライ(の方)という話ですが、詳しくは分かりません。なお、現在、旦那の両親がチェンライにいるという話ですから、もしかするとそちらの関係なのかもしれません。
何らかの理由で金が必要になったとき、または、客の要望に合う子がいた場合(?)、チェンマイへ出てきて、チッカムから客の元へ行くことになります。年齢的には、モー3からモー6、およびそれ以上となります。時に、モー2とかモー1、ポー6の瞬間最大風速が出ることもありますが(^ ^;
本人が働いている子の場合、手は悲惨なことになっていることが多いです。肌荒れでガサガサになっている上、傷や日焼けで、とても他の同年代の女の子と同じには見えません。また、足や腕にも大きな傷があることも多く、結構な重労働に従事しているのではないかと言うことは、想像に難くありません。
また、この子達はチッカムで客を取り続けると言うことはなく、今回の仕事が終り次第、また農園に帰るのだそうです。
この子達は、まさしくこのブログにピッタリの、素人さんと言えますね。
NTVの「全国警察」見ています(笑)。児童買春で逮捕される男も写っていましたが、くわばらくわばらデス(^ ^;
===今日のコメント===
=イサーン・ハントさん 「初めまして 」
こんばんは。お初です。遊びに来ました。
初めまして。ようこそお越しくださいました。
「歩き方」系の本ですが、先月大阪ナンバのジュンク堂書店(大阪でも1・2の大型書店)で特設ワゴンコーナーをつくり、山盛りで売っていました(笑)。
タイやバンコクや、その他ほとんど世界中の国を網羅している、黄色い本じゃないですよね(笑) もっとも、中国語圏では黄色は猥褻の代名詞ですけど(^ ^;
「歩き方」意外にもサブカル的な風俗本でいっぱいでした。こんなにも外道本があるんだと改めて驚きました。
出せばそこそこ売れるからでしょうか(爆)
私も何冊かパラパラと立ち読みしましたが、真剣に読みふけっている若い女の子もいました。
目的は何でしょうね。単なる興味本位? 実生活に生かす? 分かった! ボーイズバーの所、見ていたのではないでしょうか?(笑)
大阪も4~5年帰っていません。昔は、大阪で本屋と言えば旭屋だった気もしますが。
ところで、イサーン・ハントさんは、やはりイサーン関連でいらっしゃるんですか? 今度は、その辺のところもお話しいただければと思います。
今後とも、よろしくお願いします。
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「チッカム その1」
話が前後して申し訳ありません。せっかくVhiang Thong Houseまで来たのですが、いったんチッカムに戻りましょう。
タイで児童買春が問題になってきたのは、90年代初頭です。ちょうど自分が行き始めた頃になります。しかし、それはバンコクでのこと。地方都市、特にチェンマイはまだそれほどの締め付けはなかったように思います。バンコクでさえ、場所を選べば求めることができていたくらいですから。
その頃の17/3では、普通にモー2からモー4ぐらいの年齢の子たちと遊ぶことができたように思います。また、その頃のボリスット売りの子達は、普通のタイ人の子達が中心であったように思います。
そんなボリスット売りの中で、次第に増えてきたのが、まず山の子達でした。後から調べてみると、ラフ族、モン=メオ族、タイヤイ=シャン族等の子達でした。ラフは笑顔可愛いし、モンは色白が多いし、タイヤイは美人が多いですね。大体はタイ語が通じましたが、中にはタイ語の通じない子達もいました。そんな時は、チッカムの旦那の下にいるソムチャイの出番です。ソムチャイは中国系ですが山の出身で、タイ語の他に山の言葉(ただし、何族のものかは不明)ができます。
連れてこられる子達は、おどおどしていることが多いのですが、そんな彼女らにソムチャイがいろいろと言います。たいてい、コクン、コクンと頷いていますが、時にエッと言う感じで首を横に振るときがあります。すると、ソムチャイが笑いながら「いいんだ、いいんだ」と言うような感じのことを言うと、ホッとしたように笑うことがありました。「何て言ったの?」と尋ねても、たいていは「マイペンライ」「マイミーアライ」と言われてしまいますが。
次いでバマー。そして、自分は数回しか経験ありませんが、雲南省。バマーの子、雲南の子は、当然タチレク-メーサイのルートでチェンマイにやってきます。雲南のどこなのかは聞いていません。コミュニケーションは専ら筆談です。バマーの子にはタチレク(とは言え、実際にはチャイントンとかタウンジーあたりでしょうか)、マンダレーと言う子がいました。中には片言のタイ語を操る子もいましたが、大半は全く話が通じませんでした。タイ語が通じる子達は、タチレク(メーサイ)近くの出身だったのでしょうね。
雲南から来た子達は、日本人受けする顔立ちだと思うのですが、少々タカピーな子が多かったように思います。
9月も,最終週に入りました。今年も残すところ,あと(。_゚☆\ ベキバキ
===今日のコメント===
=フェチやまさん
ようこそお越し。
タイ売春読本は、立ち読みしたことがあります。タイからの抗議で無くなり、タイトルを換えて「歩き方」になったと思っていました。内容違うのですか?(歩き方は持っています)
そのお話を聞いて、「そう言えば、どこかでそんな話も聞いたことがある」って気がします。念のため、両書を比べてみましたが、地図、写真などには全く同じものが見られました。記事には似たようなものもありましたが、全く同じというものは見つけられませんでした。
最初「歩き方」を買ったときには、よく似た本だなぁとは思いましたけれど……
結論。似てはいるが、全く同じ本とは断言できない。しかし、別の本とは言い難い。
チェンライの一色さえの記事が気になってチェンライまで行きました。もちろんいませんでしたが。
出版の場合には、タイムラグがありますからねぇ。現在なら、「外道の細道」でチェックですね>紘さん、ヨイショ(笑)
=らぶさん 「こんにちはー。」
こんにちはー。 遊びに来ましたー。
イラッサイマセー。
さっき、先生の部屋で 『今日の出来事』 のお話を聞いて、驚いて飛んできたんですよ。
よく見ている番組で、その日も何気なく見ていました。ここ最近の流れですと、このブログの原稿作りながら、って言うのが多いです。ただ、今回のクーデターの件で、日本のテレビの中ではNTVの内容が一番充実していたように思うので、関連の内容があったらと言うことで、たまたま録画していました。
もし、ご希望があるようなら、ここで再放送させていただきます。
NTVも自分の会社内のセクハラがばれたからって、僕達を攻撃すなくてもいいじゃんかよー って感じですね。
退職したというアナウンサーですな(^ ^;
しかし、他に攻撃対象を作っておかなくては、自分たちが攻撃されちゃうでしょ(^ ^;
後、以前にテレビ朝日?では、チッカムの旦那が隠し撮りで出演しちゃったりしましたね。旦那、困っていましたよ。
ということで、今日はご挨拶まで。 また遊びに来まーす。
よろしくお願いします。お待ちしています。
子供部屋行きたい・・・・。
今思えばすごい時代でしたね。自分は行ったことはないんですけど。知っていれば、当然行っていたと思いますが、今までMPはバカにしていましたからねぇ……
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「ヴィアントンハウス」
いつ頃でしたかねぇ、17/3がタノンマヒドンへ移ったのは。考えてみると、17/3だった時代って相当昔のような気がしています。99年、2000年と言う頃でしょうか。不思議なことに、移転した頃の記憶が全くありません。
まだ17/3だった頃、いつものように店に行き、お茶をもらったのも懐かしい思い出です。恐らく、2回目か3回目に行ったときでしょう。「茶」と言う単語すらも分からなかった頃のことです。タイとは言え、日本語だけで充分な環境でしたから、当然と言えば当然のこと。店に入ると「良く来たな。まぁ、飲め」と出てきたのが、チャーヂンでした。「なんとかかんとかチャー」と言われました。その時は、日本人だから「茶」と言ってくれたんだなって思っていました。今から思うと、「なんとかかんとかローンナァムチャァ」とでも言っていたのでしょうね。
何回か通うと、旦那も顔を覚えてくれ、店先で再会を喜び合って抱き合ったりして、たまたまいた店の女の子が目を丸くしていたこともありました。また、あの顔見せにも堂々と対応できるようになってきました。鷹揚にお茶やビールを飲みながら、旦那にいろいろ聞いてじっくりと品定めをするようになっていきました。
90年代の半ば頃だと、年齢の中心は18歳と言うところでしょうか。今のように茶髪にしている子もなく、ただベテランになってくると、いわゆるタイのお水のお姉さん型ヘアスタイルになっていきました。前髪に特徴のある、あのスタイルです(って、分かるかなぁ、分かんねぇだろうなぁ、by 松鶴屋ちとせ)。でも、自分はそう言うタイプは苦手なので、あくまで普通のヘアスタイルの子、そして若い子、日数の浅い子が中心でした。
「VHIANG THONG HOUSE」の名刺(これは、移転してしばらくしてからもらったもの)
ある日、「また行くよ」と電話したら、店が移ったって言われたのだと思います。でも、ちゃんと行けたんですよね。どうやって行ったのかな。たぶん、トゥクトゥクを捕まえて、そのまま旦那に電話して、「店の場所説明してよ」って電話をトゥクトゥクドライバーに渡した……、そんなところでしょう。
初めてVhiang Thong Houseに行った時は、行くのに通りを見ていたはずなのですが、結局場所がよく分かりませんでした。トゥクトゥクって、結構外は見にくいですしね。また、お恥ずかしい話ですが、これだけチェンマイに通っていて、チェンマイ全体の地図が頭の中で構成され出したのは、つい最近のことなのです。それまでは結構広いと思っていたチェンマイの街なのですが、今までバラバラに頭の中に存在していたチェンマイの各地が、大体結びついてきた今になると、ことのほか狭いので驚いています。例えば、タノンケーオナワラート(ナコンピン橋の方です。プリンスロイヤル校とかちょっと行くとパヤップ大等がある所です)なんていうのは、とんでもないあっちの方というイメージだったのですが、ナイトバザールからでも1キロないぐらいなのですよね。まあ、これもバイクで動かないせいだったのかもしれません。
ところで、タノンマヒドンに移ったVhiang Thong Houseでは、頻繁に警官の姿を見るようになりました。もっとも、警官とは言っても幹部らしく、また、制服ではなく私服で来ます。最初は客だと思っていたのですが、聞くと警官だと言われました。もともと、移転した理由というのも、取り締まりのせいらしいです。なんか問題が大きくなってしまったとかで、17/3を閉めて新たに開業したとかいう話でした。
そう言えば、ちょうど2000年頃というのは、チッカムにとって一大転機の年だったようで、賄賂のお手伝いをしてあげたこともあります。ある日、いきなり旦那から電話が掛かってきて、「とにかく金がいる。助けてくれ」ってSOSが来たこともあります。そう言う無心の電話は初めてで、「もしかして、タイ人の例のアレか?」等と思ったりもしました。しかし、結構いい思いもさせてもらっていたので、いくらかは忘れましたが、捨てたつもりで何万バーツかを当時の泰華農民銀行(カシコーン銀行)の口座に振り込みました。そして、今思うとその頃からですね、自分には一切金を払わせずに、旦那が夕食の場を設定するようになったのは。
※本日の画像、一部モザイクを掛けさせていただきました。